寺田屋遭難と初代伏見町長・江崎権兵衛

坂本龍馬を顕彰した江崎権兵衛は、伏見の事業家であり初代伏見町長を勤めた人物だが、その履歴を調べてみた。

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弘化元年7月23日、先代江崎権兵衛の次男として、字家書に生まれる。幼名は源三郎。

初代は江州坂本在仰木村出身で、330年前に伏見両替町に来住し、大工であったが、のち阿波橋東詰において近江屋の屋号で材木業を営んだ。

祖父の代に、盛業をきわめ、使用人は200人を超えた。

父権兵衛のとき西浜(字家書)に移転し、禁裏および紀州ほか数藩の御用商人となり、上賀茂下鴨神社石清水八幡宮春日神社・大宮御所などを造営した。母モトは京都の若山清兵衛の女。

明治元年    兄房丸が少年時代出家していたので、明治元年父の死去により家督を継ぎ、権兵衛を襲名した。父の業を継承するとともに酒造業を創め、貨殖に意をもちいて大いに産をなした。

明治3年9月、 <「庶民の称氏許可令」により、「近江屋権兵衛」を「江崎権兵衛」に改名か?><あるいは先代江崎権兵衛とあるので、明治初年に父の代で改名か?>

明治4年3月、 家業のかたわら、明治4年3月伏見第九番組の副年寄となる。

明治5年  、伏見十一区の副区長に就任、明治6年6月までその任にあった。

明治12年3月、京都府会の開設にあたり推されて議員となる。

明治13年3月、京都府伏見区選出、同年7月退任

明治16年4月、伏見倉庫(株)設立(米穀の集散地としての伏見に)、社長

明治17年3月、京都府伏見区補欠、19年1月退任

明治20年5月、淀川汽船(株)設立、社長

明治21年2月、伏見銀行設立、副頭取(のち、頭取、監査役、取締役(死亡退職まで)

明治22年4月、町村制の施行にあたり伏見町議員(2級)に挙げられる

明治22年5月4日、初代伏見町長、同年11月7日退任

明治23年5月、京都府会補欠、25年2月退任

明治24年 、 京都商業会議所設立発起人(伏見の代表者として)、会員に選出

明治26年3月、京都商業会議所、会員再選、理事

明治26年4月、伏見現米取引所設立、代表

 

明治26年5月27日、南浜町262番地の地所購入

明治26年12月1日、村上町370番地の地所購入

明治27年5月  、 南浜町262番地に「薩藩九烈士遺蹟表」が建立される(33回忌法要)

明治27年6月1日 、 南浜町263番地、車町282番地の地所購入

明治27年11月26日、車町281番地の地所購入

 

明治28年3月 、伏見商業会議所設立にあたり副頭取に押され、のち頭取(没年まで在職)

明治31年3月 、第5回総選挙に当選、同年6月解散になるまで国政にも参与

明治31年9月 、京都府農工銀行設立委員に任命され、設立から死亡退職するまで取締役

明治34年6月 、伏見現米取引所の解散後、伏見米穀市場を創設、代表

 

明治38年5月1日、南浜町263番地、車町281番地・282番地を、寺田伊助に売却

 

大正3年3月21日 肺炎のため死去、享年71歳

 

 

江崎権兵衛は、龍馬と三吉慎蔵が伏見奉行所の捕吏と戦った寺田屋があった地所と、両人が逃走の途中で一時的に隠れた材木納屋が含まれていた地所を、明治26年から27年にかけて取得している。

何故買い取ったのか、その理由を調べている。

 

村上町の地所を除く4つの地所は南浜町と車町であり、これらの地所は皆つながっている。

南浜町の通りからから車町の通りまでの間にあって、京都特有の細長い敷地となっている。

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明治27年5月に「薩藩九烈士」の33回忌法要があって、南浜町262番地に「薩藩九烈士遺蹟表」も建立される。

南浜町262番地は、明らかに法要と遺蹟表の建立のために事前に買い取ったと思われる。

しかし、他の地所を何のために続けて買い取っていったのかその理由が明確ではない。

 

寺田屋の敷地はもともとはこの4つの番地の地所にあり、江崎権兵衛はその全体を順次買い取っていったのではないかとも想像はできる。

明治26年5月27日  南浜町262番地の地所購入(大阪市の増岡重太郎から)

明治27年6月1日 南浜町263番地、車町282番地の地所購入(ともに銭谷松三郎から)

明治27年11月26日 車町281番地の地所購入(野村興右衛門から)

そして、明治38年に寺田伊助に地所を売却するまでの12年間、これらの地所と建物がどのように利用されていたのか、よくは分からない。

 

村上町の地所は、もともと濠川の向かいの過書も含めこの辺りは材木の集積地であり、材木商でもあった江崎権兵衛は、ここを材木置き場として利用されていたのかも知れない。

明治26年12月1日、村上町370番地(材木納屋の在った場所)の地所購入(江崎三郎兵衛から)

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江崎権兵衛が取得した地所は、村上町には他に地所がふたつあるが、

寺田屋と材木納屋の在った地所を入手したのは何か理由があるはずだが、今は明確ではない。

何らかの思惑があったと思うのだが、この件はまだまだ調査が必要だと思っている。

 

参考: 「京都府議会歴代議員録」

 

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