TV放送(ロマン?)と史実 その2

坂本龍馬暗殺実況中継」の中の大政奉還について

放映では最初、聖徳記念絵画館の壁画の、邨田丹陵筆になる「大政奉還図」を掲示して、この絵図は勘違いだと指摘する場面がある。

曰く、「二条城の大広間で各藩重臣大政奉還を表明した場面であるが、ここには将軍徳川慶喜は出座していない。」

従って、「大政奉還図」は勘違いして描いているとのお話。


これには、さすがにあっけにとられてしまった。

邨田丹陵筆「大政奉還図」は、

「二条城の黒書院(桜の間)で徳川慶喜が出座して幕臣大政奉還を表明している」場面だ。

何ら間違ってはいない。

完全に勘違いしているのは放映側の方なのだ。


大政奉還の具体的な流れは以下の通り

慶應3年10月3日(1867年10月29日)に、土佐藩大政奉還・建白書を藩主・山内豊範を通じ単独で将軍・徳川慶喜に提出した。

〇10月11日(1867年11月6日)、幕府大目付から10万石以上の在京大名家に、「国家の大事について見込みお尋ねの儀あり、10月13日正午に二条城に出頭するように」との、廻状が下される。

〇10月12日(1867年11月7日)、慶喜は、黒書院にて在京の幕臣に政権返上を表明する。

<TV放映の「大政奉還図」はこの場面を描いている>


〇そして、翌10月13日には、10万石以上の大名42家の重臣または京都の留守居役50名が、二条城大広間に集まる。

慶喜は出座してはおらず、老中板倉伊賀守勝清が、政権返上について50名に公表する。そして、 公表後、将軍慶喜に見込み(意見)を申し上げたい者は居残るようにとの指示がある。

居残ったのは、薩摩(島津家)・土佐(山内家)・芸州広島(浅野家)、伊予宇和島(伊達家)、備前岡山(池田家)の5藩、6名(土佐2名)。

そして居残った者に対し、慶喜が出座し2回に分けて対面する。


明治天皇紀附図」には、洋画家の二世五姓田芳柳が描いた水彩画があり、この場面を描いている。但し、緻密に積み上げられた歴史考証に基づきとはあり4名のみを描いている。

2012年に発刊された、「明治天皇百年記念 明治天皇とその時代 『明治天皇紀附図』を読む」 では、薩摩の小松帯刀、芸州の辻将曹、土佐の後藤象二郎と福岡藤次の4名が一緒に慶喜と対面したと説明している。

4名しか描かれていないため、

たとえば、2018年10月に日比谷図書館文化館にて開催された「明治150年 江戸から東京へ」での展示と図録のように、

この4名は 会津藩主・松平容保桑名藩主・松平定敬、老中・板倉勝静若年寄永井尚志と勘違いして説明してしまうことにもなる。

 

「 人気blogランキング 」  に参加しました。よろしければ押してくださいませ

幕末・明治時代(日本史)ランキング
人物絵は三吉慎蔵と坂本龍馬です

励みになりますので、できれば以下のバナーもどうぞ
にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ
にほんブログ村