鳥羽伏見の戦いでの東軍戦死者の回向

 
 
2/4、妙教寺による鳥羽伏見の戦いでの東軍戦死者の回向に行ってきました。前回の参加が2020年なので3年ぶりになります。

千両松に行く前に淀駅近くの光明寺の埋骨地をお参り



先代のご住職の跡をついだご子息のご住職と二人で、激戦のあった千両松と愛宕茶屋の2カ所で回向をしてきました。

愛宕茶屋にて

千両松にて
淀の町は久し振りですが、地元のスーパーマーケットや史跡巡りの時によくトイレを利用したコンビニは姿を消していました。淀駅前の小さな商店街もシャッターを下ろしている店が多くなりました。競馬場はありますが寂しい限りです。
 友人でもある妙教寺の先代ご住職は前回参加した2020年の10月に亡くなられました。その年3月に見つかった肺がんを抗がん剤で治療し完治寸前まで来たのですが、抗がん剤の副作用で体力が衰え永眠されました。頑健な体の持ち主でしたのでビックリしました。
ご住職とは僕が退職して幕末を調べだしてからの付き合いで、回向には8年前から参加していました。また、鳥羽伏見の戦いにも造詣が深くよく一緒に議論したこと、また京都や伏見の史跡巡りでは有名な妙教寺の砲弾による柱の貫通痕を拝見させ頂いたことが懐かしく思い出されます。
東軍慰霊祭は戊辰戦争が始まった京都では関係のお寺で回向が行われています。その一つが妙教寺で、また同じように南禅寺金地院でも4月に鳥羽伏見戦死者の東軍慰霊祭が行われます。
もちろん戦死者の中には会津藩新選組もいます。
会津藩士卒については、京都会津会による黒谷会津墓地のある西雲院での法要が有名ですが、この妙教寺や金地院にて会津藩士卒の回向をしているのを知っている方はほとんどいません。
毎年6月に行われる黒谷での法要のあとの直会のために会津などから日本酒が届けられますが、先代のご住職はお酒が好きな方でしたので、直会で余ったお酒を抱えて、会津藩士卒の回向をされているご住職にお礼かたがた届けていました。これもこれからはできなくなったことが残念でなりません。

妙教寺

おまけ

新選組井上源三郎の首を埋めたと判明した場所