4月25日仕事で上京し閑があったので紀尾井坂に出かけた。このあたりは、紀州・尾張・井伊家の藩邸があったところで、坂の名称にその由来が残る。明治期には近くに伏見宮家、北白川宮家等の屋敷がおかれた所だ。
明治26年刊 東京景色写真版
事件当時、北白川宮家には三吉慎蔵が御付きとして勤めていた。筆まめにつけていた日記に事件のことが書かれているのか確認はしていないが、坂本龍馬や西郷隆盛ほどには大久保との交流はなかったので、詳しくは記述してはいないかもしれない。ただ、衝撃的なニュースであり、ごく近くで起きた事件なので、駆けつけたかも知れず、何か書かれていないか気になるところではある。
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絵は三吉慎蔵と坂本龍馬です
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