2014-01-01から1年間の記事一覧

中学時代の幕末史跡

東京・芝公園にある正則中学校に入学したのは、もう半世紀以上前の昭和35年(1960)。 この頃、学校までの通学路や、下校時によく遊んだ場所には、今から考えると多くの史跡があった。 ただ、この頃は歴史には全く関心がなく、従って史跡については何にも覚え…

ある幕臣一家の集合写真

11/6、横浜開港資料館にて、寄託されている先祖に関する資料を観る機会があった。 そのなかで、ある写真が目を引いた。 説明書きには、小杉雅之進と妻・由、そして方也(二番目の養子)の三人、とある。 撮影時期は、明治28年生まれの方也が12歳くらいの少年…

下関市菊川町にて船越清蔵を訪ねる

一週間ほど前、長州清末藩の産んだ陽明学者・船越清蔵の生まれ故郷の下関市菊川町を訪問した。 清蔵については、その人物像を簡潔に述べた文がある。 「長州清末藩処士船越清蔵守愚は、明治維新の大舞台開幕の裏方を勤めた人で、表舞台に立ってはでに見得を…

京都法伝寺の東軍戦死者霊名簿

京都法伝寺では、鳥羽伏見で勃発した一連の戦いで亡くなった東軍戦死者の霊名簿を所蔵されており、毎年8月には慰霊祭が行われている。 門前左側には、 「戊辰東軍戦死之碑」の刻まれた巨大な慰霊碑が建っている。 揮毫は空海の書法を究めた名筆家として知ら…

防長殉難者の墓所と法要

10/26(日)、京都東福寺・退耕庵での明治維新防長殉難者の法要に参列してきた。 慰霊祭は、安政の大獄、池田屋騒動、禁門の変、鳥羽伏見に始まる戊辰戦争等々における萩宗藩、長府、清末、徳山、岩国の各支藩の防長殉難者を対象にしており、判明しているだけ…

三吉慎蔵の娘・友子

昨日、10月31日は三吉友子の祥月命日 友子は、慶応元年(1865)5月3日に、長府藩士三吉慎蔵・伊予との間に長府にて誕生した。 次女であるが、文久2年(1862)に生まれた長女茂子が元治元年(1864)に3歳で早世したため、明治期に何回もある転居届けなどでは同居…

神戸海軍操練所開所150年

夏の終わりの8月30日に、神戸海軍操練所150年を記念して式典が行われたので記録しておく。 主催は、咸臨丸子孫の会。 150年前に神戸に海軍操練所が開設され、1年で廃止されるに至ったあらましは以下の通り。 勝海舟は、文久2年(1862)閏8月17日、破…

赤松小三郎を訪ねて

大分前になるが、今年の夏に信州上田にて、赤松小三郎の生まれ故郷を訪ねたので、 これまでに廻った小三郎の関連史跡を纏めてみた。 赤松小三郎は、天保2年(1831)上田藩士芦屋勘兵衛、志賀の次男として木町の御徒士長屋にて生まれる。諱は惟敬、幼名は清次郎…

越前福井にて天狗党を訪ねる

今年は、元治元年(1864)3月27日に「天狗党」が挙兵して150周年にあたる。 それを記念し、天狗党が西上途中で降参し壊滅した越前福井にて、県文書館「水戸天狗党 敦賀に散る」展が開催されている。先日、展示品を拝見し、福井での天狗党のゆかりの跡を訪ねて…

小浜の梅田雲浜史跡巡り

先日2回に分け、梅田雲浜の関連史跡を小浜で廻ってきた。 幕末には、有名無名の先学は多いが、その筆頭は各々梅田雲浜、船越清蔵ではないだろうか? 雲浜は求めに応じ、松下村塾の看板に「松下邨塾」と書き、清蔵は松陰が藩への登用を進言したほどだった。 …

第22回東軍慰霊祭に参加して

今年で第22回になる戊辰役東軍殉難者慰霊祭は、京都淀の妙教寺にて行われた。 慰霊祭の式次第は以下の通り 1400 慰霊祭 於本堂 祭文奉読 井上雅雄氏(新選組井上源三郎ご子孫) 読経 妙教寺緇素一結 焼香 一同 感謝状贈呈 (㈱)大与様へ 1450 記念講演 於…

第22回戊辰役東軍殉難者慰霊祭

またそろそろ東軍慰霊祭の季節がやってきた 今年は楽しみなことがある。 第22回目の慰霊祭は、久しぶりに京都での開催が企画され、10月4日に淀の妙教寺にて行われる。記念講演は『古絵図でたどる鳥羽伏見・淀の激戦』と題し、妙教寺ご住職がなされる。 …

明治期の長府毛利邸と三吉慎蔵邸の変遷

6月27日、東京にて、明治時代の長府毛利邸と三吉慎蔵邸の跡を訪ねてきた。 長府毛利家当主元敏公は、明治4年9月から、明治23年まで東京に詰め、 家扶であった三吉慎蔵は元敏に随従し、東京に同じく20年住む。 慎蔵は、明治10年に宮内省に出仕する…

先祖について

僕たちの先祖はたくさんいます。父と母がいて、その父母にそれぞれ父と母がいて、逆ねずみ算式に増えていき、100年前、1000年前には恐ろしい数になります。そしてどれ一つ欠けても今の僕たちはいません。そういう意味では、今の僕たちは貴重であり、先祖に感…

三吉慎蔵の実母かつ子

本日6月22日は、小坂かつ子の祥月命日。 かつ子は、長府藩馬廻役で剣術指南役・小坂土佐九郎の妻で、文化3年(1806)7月23日に生まれ、明治30年(1897)に92歳で亡くなっている。 当時としてもかなりの長命だ。 夫の土佐九郎は、文化元年(1804)11月16日生まれ、…

三吉慎蔵日記

『三吉慎蔵日記』は清書されていて、十九巻と附属巻で構成されている。 清書の元になった日記原本は、今は存在が確認できていない。 最晩年の明治33年と明治34年の日記は、まだ翻刻されていない。 清書については、『三吉慎蔵日記』の明治30年と31年の5か所…

三吉玉樹・トモ夫妻とその家族

最近はfacebookばかりでブログを書くのをすっかり失念していた。 facebookとブログとは各々利点が異なり役割が違う。 ブログは記録として残り、かなり後からの検索も可能だが、facebookはこの点で見劣りがする。 facebookはむしろ特定グループ内での交流の素…

2014年の予定

明けましておめでとうございます。 今年は退職して5年目に入ります。現役時代よりも忙しく、今では友人も退職後のほうが圧倒的に多くなりました。 昨年は、東軍慰霊祭や彰義隊慰霊祭、生野義挙慰霊祭など初めて参加した先祖からみの慰霊祭や、節目の年として…