三吉慎蔵の実母かつ子

本日6月22日は、小坂かつ子の祥月命日。 かつ子は、長府藩馬廻役で剣術指南役・小坂土佐九郎の妻で、文化3年(1806)7月23日に生まれ、明治30年(1897)に92歳で亡くなっている。 当時としてもかなりの長命だ。 夫の土佐九郎は、文化元年(1804)11月16日生まれ、明治9年(1876)5月2日卒、73歳。 夫妻には、長男住也と次男友三郎がいた。 友三郎は次男のため、田邊家に養子に出るが、のち一旦小坂家に戻り、槍師範の小幡氏より慎蔵と名付けられ、再び養子に出て三吉家を継いでいる。 慎蔵は、明治に長府毛利家の家扶として毛利家の東京詰めに際し上京し、明治10年宮内省に出仕し北白川宮家の御付になる。 明治20年(1887)に長府在住の実母かつ子に面会の為、2週間の帰省暇願を宮内次官伯爵吉井友実に提出し、2月15日に東京出立し3月25日に帰京する。この時かつ子は82歳で、慎蔵は長く会っていない高齢の老母を心配していたと思われる。 長府毛利家当主元敏公の依頼もあり、明治23年(1890)に宮内省を60歳で依願退官して長府に戻り永住するので、晩年の7年ほどはかつ子の近くに居たことになる。 明治30年(1897)6月22日の当日は、午前から実家小坂家へ出頭し、午後は見舞い傍ら兄弟が寄食し老母にも別れの酒を出している。旧藩医松岡医師も詰め、みんなが見守る中、かつ子は午後9時に危篤になり11時に大往生を遂げる。 24日に夫土佐九郎が眠る功山寺に葬られたが、幸せな生涯ではなかったかと想像している。
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