「花燃ゆ」6月14日放送 来嶋又兵衛

今回のドラマの関心事は、来島又兵衛
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三吉慎蔵の三吉家を調査していて、慎蔵と縁者になる船越清蔵が、又兵衛とも縁者になることが分ってきた。 少しややこしいが、三吉慎蔵と来島又兵衛との関連を明らかにしておきたい。 江戸時代、長男でなければ原則として家は継げないため、長男以外は坊主か養子になる。 〇長府藩士小坂土佐九郎の次男である慎蔵も例外ではなく、三吉半次の子・三吉十蔵の養子になる。 慎蔵の実父・小坂土佐九郎は、津原かつ子を後添えにもらう前に、三吉半次の娘を嫁にしていたが離別している。 つまり慎蔵は、実父の前妻の兄弟の家に養子に入ったわけだ。 慎蔵がなぜ三吉家に養子に入ったのかは理由があるはずだが、この件は現在調査中。 ところで、船越家の長男である船越清蔵は、尊王攘夷の活動のため、家を継がなかった。処士(主を持たない野の人)となり、天下を我が家とした。 この船越清蔵には妹が2人、「とよ」 と 「とり」がいる。 〇船越清蔵の末妹・とりは、清蔵から家督を譲られ、清末藩医・南部宗哲の次男太平次(教)を婿に迎える。そして太平次は、船越家41世孟之として船越家を継ぐ。 40世船越孟正は天保10年(1839)3月19日に死去しているので、この頃家を継いでいると思われる。 この太平次の妹の南部喜久が、長府藩士・三吉十蔵の後添えとなる。そして三吉十蔵には子がなく、慎蔵が養子になる。 三吉家の系図に、三吉十蔵の妻として、清末家中南部宗哲女と明記されている。 ところで、この太平次のことが『三吉慎蔵日記』に出てくる。 安政4年(1857)6月5日の項に、  養母之續清末御家中舩越教果申候処伯父ニ相當リ候  ニ付忌中届井上蔵主ヘ届候忌中五日間相愼候事 とあり、 慎蔵は、船越教(太平次、孟之)の前日4日の死去を書き記し、一家は5日間喪に服している。 〇そして船越清蔵のもう一人の妹・とよは、笹尾政綱(のち万次郎)に嫁ぐ。その次男就誠は、来島家に養子に入り来島家12代を継ぐ。 就誠の養父の11代就信に姉・武がおり、その入婿が、来島又兵衛になる。 つまり、来島又兵衛は、船越清蔵を介して、三吉慎蔵の遠い縁者になる。 ただ、『三吉慎蔵日記』のどこを探しても、来島又兵衛の記事は出てこない。 「 人気blogランキング 」  に参加しました。よろしければ押してくださいませ。
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