品川沖の榎本艦隊

『幕末・明治の日本海軍』に掲載されている写真がある。 榎本艦隊が沖合に停泊している様子を撮影したものとされる。

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Wikipedia榎本武揚」などにも、同じ写真が掲載されており、手前に浜辺らしきものまで写っているのでWikipediaの掲載写真の方がオリジナルに近いと思われる。 『幕末・明治の日本海軍』やWikipedia榎本武揚」などの説明では、写っているのは5隻として、船名を想定している。 しかし写っているのはよく見れば6隻であり、この6隻について船名の特定を試みたい。

榎本武揚は、慶応4年8月19日、開陽丸、回天丸、蟠龍丸、千代田形、神速丸、美賀保丸、咸臨丸、長鯨丸の8隻で編成した旧幕府艦隊を率いて江戸を脱出した。 従ってとりあえず、写真に写っているのはこの8隻の中のいずれかの船と考えられる。 この8隻には、次のような外形上の特徴がある。

①美賀保丸は、蒸気船ではなく帆船である。従って煙突がない。

②咸臨丸も、このとき蒸気機関を外している(煙突を全て外したかは確認はできていない)   蒸気機関を外す前の咸臨丸の絵  3本マスト、スクーナー型

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③回天丸は、外輪船で、マストは3本、煙突が2本、バーク型。

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④長鯨丸は、外輪船で、マストは2本、スクーナー。

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⑤2本マストは、千代田形、神速丸、長鯨丸の3隻で、他の5隻は3本マストである。     千代田形  2本マスト、スクーナ

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    神速丸 2本マスト、スクーナ

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    開陽丸はマストは3本、シップ型

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    蟠龍丸はマストは3本、スクーナ

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 ⑥全長は、各々、開陽丸(72.8m)、回天丸(69m)、蟠龍丸(42.2m)、千代田形(31.3m)、神速丸(41.6m)、美賀保丸'52.2m)、咸臨丸(48.8m)、長鯨丸(77.6m)

それでは、「品川沖の榎本艦隊」の写真を確認してみる。 Wikipediaの写真説明では、5隻が写っているとして、左から、美賀保丸、長鯨丸、咸臨丸、開陽丸、回天丸としているが、その特定方法を推定してみる。 但し、今回は6隻写っているとして、6隻を推定する。

a)左端の船は、3本マストで煙突がない。従って候補は、美賀保丸か咸臨丸

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b)左から2隻目には、その後ろにもう一隻重なって3隻目がいる。写真を拡大して確認してほしい。

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手前の船は外輪船で、前後2隻のマストは全部で5本ある。 5本のうち一番左のマストが、前後どの船のものかで候補が変わる。  

  イ)前の船(2隻目)のものとすると、2隻目は外輪船で3本マストなので、候補は回天丸。従って3隻目は2本マストなので、候補は千代田形、神速丸、長鯨丸。  

  ロ)後ろの船(3隻目)のものとすると、2隻目は外輪船で2本マストなので、候補は長鯨丸。 この場合、他の5隻はすべて3本マストなので 2本マストの千代田形、神速丸は選定対象から外してよい。  3隻目は、とりあえずペンディング

 

c)左から4隻目は、3本マストで低いが煙突らしきものも見える。

  とりあえずペンディング

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d)左から5隻目は、他より手前に停泊しているためかかなり大きな船に見える。シップ型は1隻のみ、開陽丸。

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e)右端の6隻目は、バーク型の大きな船で、左舷中央に外輪らしきものが見える。    マストは3本。候補は回天丸。

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f)5隻めが開陽丸、6隻目が回天丸とすると、2隻目は2本マストの長鯨丸となり、 3隻目は3本マストの蟠龍丸か美賀保丸、咸臨丸かである。4隻目は煙突があるので美賀保丸ではないので、咸臨丸か蟠龍丸であるが、メインマストの帆桁の様子から横帆なので、縦帆の蟠龍丸ではない。ここでは、煙突らしきものがあるが咸臨丸と仮定しておく。

 

従って、いったん当て嵌めてみると、 左から、美賀保丸、長鯨丸、蟠龍丸(長鯨丸の後ろ)、咸臨丸、開陽丸、回天丸となる。 おそらく以上が、蟠龍丸(長鯨丸の後ろ)を除いた5隻について、Wikipedia記述者の推定方法とその特定と思われる。

また、『幕末・明治の日本海軍』では、一番左端の船を、美賀保丸ではなく、神速丸としているが、3本マストの真ん中を煙突とみて、神速丸と想定したものと思われる。

しかしながら、 左から4隻目に煙突らしきものがあるのがやはり気にかかる。 咸臨丸は、慶應2年11月には修理のため傷んだ蒸気機関を外したが、そのまま新調もせず取り外したままで船体のみ修理し、帆船として運輸専用になる。慶應3年には軍艦籍からも除かれている。 帆船であれば、航海に邪魔な煙突も取り外すはずなので、榎本艦隊の輸送船としての帆船咸臨丸には、煙突はないことになる。 従って、4隻目は咸臨丸ではないと結論付けられる。

咸臨丸にすでに煙突がないことを示す画がある。品川脱走時に開陽丸の蒸気方一等(今の機関長)であった小杉雅之進の絵である。 この「戊辰中徳川軍艦八隻品川沖開帆之図」には、煙突のないい帆船が2隻、美賀保丸と咸臨丸が描かれている。2隻の特定はシリーズで描かれている帆を張った絵から判断している。帆桁をみると、4段のシップ型(美賀保丸)と3段のバーク型(咸臨丸)の違いがある。

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      美賀保丸 シップ型

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      咸臨丸  バーク型

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4隻目が咸臨丸でないとすると、実は全く違った想定が可能になる。 3本マストの蒸気船で、該当するのは蟠龍丸だけだが、マストと帆桁の形状が異なる。 2本目のマストは、4隻目は横帆だが、蟠龍丸は縦帆。 とすると、「品川沖の榎本艦隊」とされる写真の船は、果たして榎本艦隊の船なのか疑問符がわいてくる。

実は、「品川沖の榎本艦隊」ではないと考えられる重要なポイントは、『幕末・明治の日本海軍』も、Wikipediaの記述者も見落としているが、左から2隻目と3隻目の重なっている2隻の船にある。 話の筋として(2本マストの外輪船の長鯨丸を2隻目とするため)、2隻のマストは計5本としてきたが、実はよく見ると6本ある。 つまり、、「品川沖の榎本艦隊」の写真に見える6隻すべてが3本マストの船になる。 榎本艦隊の3本マストの船は、開陽丸、回天丸、蟠竜丸、美賀保丸、咸臨丸の5隻で、2本マストは千代田形、神速丸、長鯨丸の3隻。ところがこれに加えて、もう一隻3本マストの船が榎本艦隊にいることになり、船の数がアンマッチになってしまう。 従って、この場合、「品川沖の榎本艦隊」の写真は、写っているのは榎本艦隊ではないという、結論になる。

 

参考:『幕末・明治の日本海軍』     Wikipedia榎本武揚」     『小杉雅之進が描いた箱館戦争』     『海王丸体験航海テキスト』

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