2015-01-01から1年間の記事一覧

海舟と西郷の会談

慶応4年の鳥羽伏見の戦いのあとから江戸開城までに、二人の間で書簡の交換や会談は何回かおこなわれる。 始まりは、山岡鉄太郎に託した西郷吉之助宛て海舟の書簡。 2月11日の江戸城重臣会議において、慶喜は恭順の意を表し、海舟に全権を委ね、自らは翌12…

「戊午の密勅」と船越清蔵

戊午の大獄(安政の大獄)で処罰された者は多いが、逃げのびた者も少なくはない。 大津にいた船越清蔵もその一人だ。 山口県菊川町の清蔵の墓所にて 先日、福井小浜で、梅田雲浜生誕200年記念式典に参加し、 佐々木克氏の講演「梅田雲浜と安政の大獄」と、そ…

オランダ訪問 その5 ライデン

11/1(日) 目的:ライデンにあるシーボルトの日本関係史料を拝見し、留学生の足跡を訪ねる 最高気温は17℃、服装は、長袖とチョッキで通した。 0530 起床、まだ暗いがアムステルダムの街を早朝散歩する。 日曜日だからなのか、自動車も自転車も人もいない…

オランダ訪問 その4 航海訓練海域

10/31(土) 北海沿岸方面を廻りアムステルダムへ移動 目的は、開陽丸に機材搬入した場所と、航海訓練した海域を見学すること 気温は最高17℃、アムステルダムは夜は10℃、 服装は長袖にチョッキ、夜はコート着用した。 0600 起床、今日ホテルを発つの…

オランダ訪問 その3 開陽丸建造・記念式典

10/30(金) 今日の目的は、開陽丸建造150年の記念展示拝見、進水場所での記念碑除幕と、ドルトレヒト市が主催する式典参加 絵は、進水の場面 この時綱が切れ、向かいの岸辺まで船が止まらず、浅瀬に乗り上げてしまい、離脱は満潮まで待つことになる。 …

オランダ訪問 その2 咸臨丸建造地・キンデルダイク

10/29(木) 目的は、世界遺産の風車群の見学と、咸臨丸を建造した造船会社の訪問 気候は8~16℃. 服装は、気温変化に順応できるように長袖シャツに、チョッキ、薄手のジャンパーを着用した。 0600 起床、ホテルの周りを散策 宿泊したホテルは、田舎の…

オランダ訪問 その1 出発

幕府軍艦「開陽丸」がオランダで建造されて、今年は150周年になる。 造船所のあったドルトレヒト市が記念式典を企画し、「開陽丸子孫の会」が招待された。メンバーの一人としてこのイベントに参加してきたので、記録しておく。 10/28(水)オランダへ出発…

楫取素彦と三吉慎蔵

大河ドラマ「花燃ゆ」のこれからの放映で、楫取素彦の妻寿が明治14年1月に死去する場面がある。 亡くなった場所は、東京の麹町平河町6丁目22番地の楫取素彦敷地内の粂次郎 (このときは道明)邸。 このとき三吉慎蔵は、ドラマには出てこないが、ごく近く…

龍馬をも相扶ケ

ある文書について、新しい読みのご教示を頂いたので記録しておきたい。 三吉慎蔵は、慶應2年1月に時勢探索との内命を以て龍馬らと同道し上京する。 23日に寺田屋にて龍馬が捕り方に囲まれたときに同宿し、一緒に囲みを破って逃亡、龍馬とともに薩摩藩屋敷に…

今日は、河島由之の祥月命日

河島善蔵源由之といい、曽祖父にあたる。明治44年に59歳で没した。 この人物については、情報が少ない。 ただ、長男の精一が残した系図には、僅かだが以下の説明書きがある。 「(前略) (由之の父・河島由路は)戊辰の役に彰義隊へ参加、上野山三枚橋黒門詰…

朝ドラ「あさが来た」10月7日放送 お雛様

今回の朝ドラで気になったことは、やはりお雛様 ひな壇の準備をしている場面が出てきたので、ときは桃の節句の3月3日かその前のことになる。 お雛様を箱から出して、いよいよひな壇の空いている上段にに置くところなのだが、何故か内裏様の右側に置くようだ …

「花燃ゆ」9月13日放送 桔梗屋の辰路

今回の関心事は、久坂玄瑞の子・秀次郎の実母のこと 秀次郎の母が、桔梗屋の辰路となったのはそんなに昔ではない。 玄瑞の曾孫(秀次郎の孫)・久坂恵一氏は当初、秀次郎の実母は佐々木ヒロとしていた。 恵一氏が、『 鴨の流れ 』創刊号(昭和48年9月10日発行…

今日8/21は小杉雅之進の祥月命日

この人を知ったのはそんなに昔ではない。 今から8年ほど前のことだ。 定年後の趣味のひとつとして、幕末時代の先祖の調査を本格的にしようかと思い調べ始めたときだった。 晩年の小杉雅之進 わが家には、祖父・河島精一の作成した系図がある。 系図とはいっ…

「花燃ゆ」8月2日放送 赤禰武人

今回の関心事は、赤禰武人は奇兵隊の第何代総督かということ 長藩は、文久3年(1863)5月10日の「攘夷実行」によって米船や仏船など無差別に砲撃を加えたが、3週間後に手痛い反撃を受け、馬関各地の砲台は破壊され軍艦は撃沈されてしまう。そして、この戦いに…

幕府軍艦・咸臨丸の絵

咸臨丸を描いた絵は、 実に多くあるが、一点不思議なことがある。 咸臨丸を建造したオランダで発見された咸臨丸の総帆画をみると、マストが3本。 船首側から、フォア・マスト、メイン・マスト、ミズン・マストと呼ぶ。 フォア・マストと、メイン・マストは…

幕府軍艦・咸臨丸の写真

咸臨丸の写真は、あるとも、ないとも言われているが、明確ではない。 取りあえず調べたことを中間報告としておきたい。 咸臨丸については、文倉平次郎が半生をかけて調査し纏めた名著『幕末軍艦咸臨丸』がある。 文倉は、これが咸臨丸だとして、本編巻頭に絵…

「花燃ゆ」7月19日放送  山口から萩へ

今回のドラマの関心事は、移鎮した山口から一時的に萩へ戻ったこと 文久3年(1863)、萩藩は藩庁を萩から山口へ移鎮する際に、5月10日の攘夷実行に当たり萩では指揮が不便なためと申立て、その月に滞京中の老中板倉勝静のもとへ居城移転を提出したが、その前…

「花燃ゆ」7月5日放送  蛤御門

今回のドラマの関心事は、禁門の変の由来となった蛤御門 この門と関係の深い町が、宝塚の小浜(こはま) 小浜は15世紀末頃に小浜庄として開かれたらしく、有馬街道、西宮街道、京伏見街道の3つの街道が交差する場所となり、宿場町として栄えた。 そのため、…

「花燃ゆ」7月12日放送  講和談判の代表

今日のドラマの関心事は、下関戦争の講和談判の代表 長府藩士・三吉慎蔵の家系図をみると、 三吉家初代は、先祖の本国・備後にて城持ちで三吉下総守と名乗る。その孫・三吉政房のときに、備後国から長門長府へやって来て、その子の正則は長府藩主毛利秀元に…

「花燃ゆ」6月7日放送 久坂玄瑞一家

今回のドラマでの関心事は久坂玄瑞とその家族のこと 小田村伊之助と三吉慎蔵とは早くから交流があるが、玄瑞と慎蔵とは明確ではない。 伊之助と慎蔵は、文久3年(1863)の八・一八政変の1ヶ月ほど前に一緒に京都へ出張する。それ以後、二人は親密な中になり…

「花燃ゆ」6月7日放送 八・一八前後の行動

今回の関心事は、小田村伊之助の八・一八前後の行動。 ドラマでは、藩主に大和行幸の予定を報告し、藩士を随行させる許可を貰っている。この前後のことは『楫取素彦覚書』にもあるが、他の史料で補足してみたい。 文久3年(1863)5月10日の攘夷期限にあたって…

「花燃ゆ」6月21日放送  萩藩世子の毛利定広

今回のドラマの関心事は、長州萩藩世子の毛利定広 定広は、天保10年(1839)9月22日生まれで、徳山藩毛利家から養子になり、ドラマの元治元年(1864)6月頃は数えで26才。 このとき、天保10年8月20日生まれの高杉晋作は1ケ月生まれが早いが、世子と同じ26才に…

「花燃ゆ」6月14日放送 来嶋又兵衛

今回のドラマの関心事は、来島又兵衛 三吉慎蔵の三吉家を調査していて、慎蔵と縁者になる船越清蔵が、又兵衛とも縁者になることが分ってきた。 少しややこしいが、三吉慎蔵と来島又兵衛との関連を明らかにしておきたい。 江戸時代、長男でなければ原則として…

「花燃ゆ」5月17日放送  長井雅楽

今回のドラマで気になったのはやはり長井雅楽のこと このドラマはとにかく展開が速いので、重要な事実の起承転結が省かれる。 航海遠略策にしても提言されあっという間に藩論となり、そして直ぐ(2週間後には)破約攘夷に置き換えられる。 長井雅楽や航海遠…

「花燃ゆ」5月17日放送 晋作の短銃

今回の関心事は、晋作が上海で求めたピストル ドラマでは、短銃は1丁しかないようだが、晋作は文久2年(1862)に上海で2丁の短銃を購入している。 晋作の上海日誌『遊清五録』によると、 6月8日の条に「午後到蘭館、求短銃及地図」 6月16日の条に「与中牟田…

「花燃ゆ」5月24日放送  攘夷実行

文久3年(1863)5月10日の攘夷期限の日、長州の砲台が火をふいた この日、いわゆる攘夷が行われたのだが、実行したのは長州一藩だけで、攘夷実行の舞台は長府藩領と続く海域でのみだった。。 長府藩の御家記『毛利家乗』にこの砲撃について若干記述がある。 『…

「花燃ゆ」5月3日放送 お雛様

今回の放送で一番気に入っているのが、3月3日 桃の節句の場面 お雛様と内裏様が、古来からの陰陽の伝統に則って配置されている 定年を前にして、無趣味だった僕は、無理やりいくつか趣味をこしらえた。 ①先祖調査 ②幕末の歴史研究 ③史跡めぐり ④古写真研究…

「花燃ゆ」5月10日放送 松浦亀太郎

今回の関心事はやはり松浦亀太郎 松陰の様々な絵を描き残したことで有名だが、 僕にとって関心があるのは京都霊山の関係として・・・ 京都洛東霊山の霊明神社は、幕末の文久2年から戦死・変死した志士の神道祭を執り行ってきた。 この霊山での神道祭の最初…

幕末維新殉難志士の慰霊祭

禁門の変の日の7月19日、京都洛東霊山の霊明神社にて、霊明神社奉賛会主催の「幕末維新殉難志士の慰霊祭」が行われた。 霊明神社は、幕末維新にかけ、主に長州系志士達の葬送・祭祀の地となるが、藩の枠を超えて、暗殺・戦死など殉難・変死した志士達も葬っ…

中山忠光卿の正室・富子のこと

4月に著者から謹呈頂いた『志士の峠』を今頃読んでいる。 忙しかったとはいえ誠に失礼なことであった。 読み始めるとなかなか面白く、また教えられることが多い。 中山忠光卿の奥方は、平戸藩主・松浦熈の娘富子だが、江戸屋敷の生まれ育ちとのこと。 天誅組…