10/30(金)
今日の目的は、開陽丸建造150年の記念展示拝見、進水場所での記念碑除幕と、ドルトレヒト市が主催する式典参加
絵は、進水の場面
この時綱が切れ、向かいの岸辺まで船が止まらず、浅瀬に乗り上げてしまい、離脱は満潮まで待つことになる。
開陽丸は、1860年11月2日に進水したので、式典はその近くの10月30日に設定されている。
今日の最高気温は17℃の予定。服装は終日背広にネクタイ。汗をかかないか心配したが、ちょうどよい塩梅だった。
0430 起床、真っ暗だが夜明けまでホテルの周りを散策。
0700 朝食、美味しいのでまたおなか一杯食べてしまった。
0930 専用バスにて出発、出かけるときは11℃
1000 「オランダの庭」 Het Hof van Nederlandに到着
展示案内ののぼりが立っている
開陽丸建造記念の特別展示の会場であるが、ここはオランダの宗教改革の発祥の由緒ある場所でもある。
また、ここドルトレヒトでは、教会で起こった論争を解決するために、、オランダ改革派教会によりドルト会議が行われた。レモンストラント派が敗れカルヴィン派の主義が勝った場所もである。
オランダにとっては極めて重要な場所で、今後様々な企画があるとの事だった。
開陽丸建造150年の記念展示は本日から3月末まで行われる。
記念展示の正式の開館は記念式典が終わってからだが、我々は事前の内覧として展示を見学した。
展示内容は、大きくは、
1.日本とオランダの交流(屏風、日本刀、弓矢、陶磁器、長崎・出島とオランダ戦艦を描いた軸物、、日本に来たオランダ女性の絵、出島の建物の様子、書物「日本」など)
2.開陽丸建造(建造契約書、建造の道具類、設計図2枚、開陽丸の建造中の写真2枚、進水の絵1枚、建造責任者らの写真1枚、進水を報じる当時の新聞・雑誌))
3.留学生15人と、オランダ人との交流について
4.日本への回航(航海日誌など)と、沈没した江差で引き揚げた砲弾などに分類して展示されていた。
展示室入り口にかかる絵
操船している船の奥に、建造中の開陽丸が描かれている
建造の道具類
江戸幕府との建造契約書
建造中の開陽丸
完成した開陽丸の絵と写真
江差沖から回収した砲弾
海底からの回収時、員数外にしてあったものが、ここドルトレヒトの博物館に収まっている。
拝見後、別室で一休みした後、記念講演を拝聴した。講演会は、演題がふたつで、
①「開陽丸 建造から沈没・復活まで」ヘルマン・ムースハルト氏
②「15人のオランダ留学生について」ハルム・ブーカー氏
1245 徒歩にてドルトレヒト市役所を訪問する。
15世紀の建物だというシティーホールの上には日の丸が掲揚されている。レッドカーペットの階段を上って、Brok市長の出迎えを受けた。
1300 すぐに、シティホールの地下にて、市長招待の昼食会が開かれる。僕の隣は市長の秘書だった。
メニューは、スープ、メインディッシュ、デザート
1430 会食後、駐オランダ・辻優日本大使の到着を待ち、出迎えたあと、
レッドカーペットの階段で記念写真(オランダ大使館HPより拝借)
1440 そのあとすぐに専用バスにて移動し、Wilgenbos(造船所通り)に向かう。
開陽丸を建造した、ヒップス・エン・ゾーネン造船所のあった辺り。この造船所の運河側(アウデ・マース川)で進水式が行われた。
運河に面した「開陽丸」が進水した場所にて、「KAIYO−MARU」と書かれた記念プレートを辻大使が除幕する。
次の写真は共同通信より拝借
写真は右から、榎本武揚のひ孫で「開陽丸子孫の会」会長の榎本隆充氏、駐オランダ辻日本大使、ドルトレヒト・ブロック市長、元江差町教育長石橋氏。石橋氏は江差町で沈んだ開陽丸から遺物を大量に引き上げ、開陽丸をも復元し、開陽丸にとっても子孫にとっても大恩人の方。ブロック市長からも「プレートができたのは石橋さんのおかげ」と40年以上に及ぶ活動をねぎらわれた。
この頃から報道関係者がだんだん増えてきた。
記念碑の近くの、小さな運河を挟んだ建物は、今後「開陽丸記念館」とする計画があるらしい。
開館は2年後とのこと、また来ることになるかも。
1530 Het Dordrecht Museum(ドルトレヒト博物館)に移動する。
ここで、開陽丸建造150周年記念式典の公式行事が開かれる。
会場は、4月にオランダ国王夫妻参列の元で開館となった。
会場には既に150人程の市民の方々が着席されており、我々は前方の指定の席に着席する。
オープニングセレモニーは、、Brok市長の挨拶から始まり、続いて尺八の演奏が行われた。そのあと辻大使のスピーチが続き、
榎本会長の挨拶があり、子孫の会より記念の盾リリーフを市へ贈呈した。
1630 また、徒歩にて「オランダの庭」に戻り
1625 開陽丸建造150年記念展の正式オープンがあり、展示を再拝見し、交歓会に参加した。
展示場での報道関係者の取材は、この時に行われた。
会場を後にするときに、ありがたいことに参加者全員に今回の展示会の図録1冊が贈られた。
1725 ホテルへ、1750 ホテル着
1900 ホテルレストランにて開陽丸子孫の会主催による夕食会。
市長、副市長、博物館長、講演者2人など8名の方々を招待した。
我々はホスト側なので、あらかじめレストランへ先行し着席して、出迎える。
そして今回の メニューは、なんと150年前の日本代表団(留学生)が食した料理を復元したものだ。
美味であった。
2130 会食後、招待者に記念楯を贈呈し、出口にて見送り、散会
2300 就寝
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