10/31(土) 北海沿岸方面を廻りアムステルダムへ移動
目的は、開陽丸に機材搬入した場所と、航海訓練した海域を見学すること
気温は最高17℃、アムステルダムは夜は10℃、
服装は長袖にチョッキ、夜はコート着用した。
0600 起床、今日ホテルを発つので、荷造りしてから散歩。
0700 朝食
0840 荷物回収のため、スーツケースをドアの外(廊下)へ、
ここで失敗、鍵を持たずに部屋を出てドアが閉まってしまった。鍵を再発行してもらい入室するはめに。
0910 チェックアウト
0930 専用バスにて、ホテル出発
泊まったホテルは、家族営業とのこと。家族が分担して、野菜を栽培し家畜を養い、レストランで提供するものすべてを作っている。また、手広く、オランダ各地や南米の島などでホテルを経営している。
とにかく、僕には久しぶりに満点のホテルだった。
バスで留学生たちも通ったであろう昔の小さな道を通り、ウィリアムス・ドルクト(村)へ
0945 ウィリアムス・ドルクト見学
ここは、ヒップス・エン・ゾーネン造船所で建造され進水した後、ヘルフーツライスなどで艤装し、ウィリアムス・ドルクトで機材を搬入するが、開陽丸が碇泊して機材を搬入したその場所。
この標識から先がウィリアムス・ドルクト、手前は、ドルトレヒト
石橋さんの著作『幕末・開陽丸』には、機材を搬入した場所はいつくか挙げられているが、ウィリアムス・ドルクトは明確な記載がない場所だ。
この場所で機材を搬入するのには理由がある。
咸臨丸を建造したキンデルダイクは、干潮満潮で1.5mの差があり、9.5mまで水深の可能性があるが、ドルトレヒトは、可能性8mまでしかない。8mの深さでは重い機材が載せられないので、水深のあるウィリアム・ドルクトで機材を搬入することになった。
この川は、開陽丸が航海訓練をしたブラウンス・ハーヘンへと向かうとどんどん広くなり、オランダで一番川も幅が広いらしい。
この川の先が、ブラウンス・ハーヘンへと続く
機材の搬入の間、留学生はドルトレヒトに滞在し、我々がバスで通る道をウィリアム・ドルクトまで毎日通った。
当時は健脚なのでやはり馬ではなく徒歩かなとも思うが、運河が発達しているので船で通ったのかもしれない。
1000 見学後、ムール貝の養殖場をバスから見て、
オランダで初めて見ることになる、延々と続く広い農地の中を通り、1時間ほど走って、ブラウンス・ハーフンへ向かう。
洪水対策か、家に対して、壁が長く高く続く
芽キャベツ畑
酪農も盛ん、 チーズの生産量は世界一
何故か大量の鳥、この時期は七面鳥かな
地平線が見える
農地で作っているのは、砂糖大根、芽キャベツ、ジャガイモなど様々。砂糖大根は80%が輸出で、CO2を吸収するので環境にも良いらしい。
1100 ブラウンス・ハーフン見学
ブラウンス・ハーヘンの位置
ブラウンス・ハーフンの町、 オランダではどこにもある風景
ブラウンス・ハーフンの裁判所と榎本会長
ブラウンス・ハーフンのヨーットハーバー
ブラウンス・ハーフンから見た海域
開陽丸は、 ウイリアムス・ドルクトにて機材搬入した後、海の方へ移動し、日本へ向かうために長期間に渡り、ここ ブラウンス・ハーフンにて航海の練習をした。
当時はコヒ海もこの地より臨むことができたが、現在は建物もあるため、見えづらくなっている。
1300 ブラウンス・ハーフンから戻って、ウィリアム・スタットにて、昼食
白ワイン、カボチャのスープ、コロッケにメインディッシュ(野菜のオムレツ)、デザート
せっかくなので、食事を早く切り上げ、町中を散策する。運河沿いのこじんまりした町で、今は羊が占領しているが亀甲型の要塞もある。
1420 アムステルダムへ140km移動のためへ出発
1600 ホテル(NH Amsterdam Center)到着、チェックイン
都会のホテルは、ゆったりした田舎のドルトレヒトと比べくもないとは、いつもと同じ。やはり大都会のホテルは高い。
都会なので人が多い。 自転車道路が整備されているからか、自転車に乗る人が極めて多い。
日本の場合、道路はまだまだ整備できておらず、自動車道路+歩道の道路は二つの感覚で、自転車は歩道も通る。
オランダでは、自動車道路+自転車道路+歩道で、三つの道路が明確に分かれている。そして自動車道路と歩道とはレンガの色・形などで分けられている。
日本の感覚でいると、間違えていつの間にか自転車道路を歩いてしまい、危険極まりない。
自転車道路には、自転車と単車が走る。
自転車道路は一方通行であり、信号もあり、そのためかかなり早いスピードで走っている。
1820 歩いて、インドネシア料理のレストランSama Seboへ出発
晩はさすがに寒いのでオランダで初めてコートを着用する。
インドネシア料理は、植民地でもあり、オランダでは古くから貿易の関係でポピュラーな料理だという。この日もお客は満員だった
ホワイトビールとラガービールを飲む。食事は19品目もあり、3から4人で分けて食べるのだが、とても全部は食べ切れない。色々な焼き鳥、炒った落花生、キャベツサラダ、海老せん、いんげん、もやしの和え物、揚げ豆腐の甘酢ソース炒め、牛肉の煮込み、ネギ入りオムレツなどなど、僕には珍しい料理であった。
2030 ホテル帰館、夜散歩。
2400 就寝
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