2021-08-01から1ヶ月間の記事一覧

東京を整備した山尾庸三

東京築地にある「訓盲院発祥の地」碑からの連想。 明治になってから洋風の建造物が作られていくが、初期の建築には幕末に活躍した人物の名がよく出てくる。 訓盲院の建築は、お雇い英人のジョサイア・コンドルの設計になるが、以下の経過をたどった。 明治8…

三吉慎蔵についての間違い

最近、三吉慎蔵についての投稿をよく目にします。 先日も、 「江戸時代、幕末の日本で坂本龍馬を護衛した凄腕の槍術使い『三吉慎蔵』とは」との題で、Japaaanマガジンの記事を眼にしました。 Japaaanマガジンの幕末関係記事はあまりにも誤りが多いので読まな…

いろは丸事件

三吉慎蔵宛ての長府藩士・印藤聿の書簡がある。 「坂本先生が今朝、下関に帰ってきたそうです。 夕刻までには出帆し、上方へ登るとのこと、伊藤九三より申してきました。 龍馬のために大小(本差と脇差)を送るよう伝言がありました。 伊藤からの使いに持た…

戊辰戦争と多田郷士

多田郷士のいる兵庫県川西市の多田庄は源氏の発祥の地であり、僕の住んでいる宝塚から近い。祭神 祭神は清和天皇の曾孫源満仲、頼光、頼信、頼義、義家の五公。すなわち源氏の祖廟であり、源氏の発祥の地 ドラマ「銀一貫」で北摂津の寒天が有名になったが、…

ディアナ号は帆船のはずだが

だいぶ前になるが、京都維新を語る会の会合にて面白い史料を見せていただいた。 プチャーチンが嘉永6年(1853)7月に長崎に来航したときの絵がある。そこには、4隻の船と幕府役人やロシア使節が描かれている。 船の1隻はパルラーダ号で、ディアナ号と同型の…

吉村昭の『史実を歩く』

吉村昭の『史実を歩く』を繙き、「日本最初の英語教師」と「桜田門外ノ変」余話を読んだ。 『史実を歩く』には、小説を執筆するにあたっての自身の綿密な調査についての記述がある。 知らないことが実に多く書かれている。 「日本最初の英語教師」には、ラナ…

面白写真

古写真を拝見すると、当時の撮影方法が分かる場合がある。 ダゲレオタイプの写真は鏡と同じ写り方なので、 左右逆に映ることから撮影前に刀を右に差すなど十分準備をするのだけれど、写真の出来上がりの姿を考えていないケースが時々ある。 1枚目は、撮影準…

三吉慎蔵と江川塾

長府藩士三吉慎蔵は、幕末に2回江戸へ下っている。 その最初は、安政5年(1857)。 藩主毛利元周の参勤交代の先着として3月17日に江戸入りした。 そして翌年江戸を離れるまでは様々な事件が起きている。まだ政局の中心は江戸だった。 4月23日に井伊直弼が大老…

青天を衝け! 戊辰戦争へ

いよいよ日本では大政奉還後から戊辰戦争へと激動の時代に入っていく。 今回以降しばらくは、僕にとって身近な話が出てくるようだ。 慶応4年の鳥羽伏見の戦いでの敗戦を機に、徳川慶喜は松平容保など側近や幹部を連れて開陽丸にて江戸に帰る。 <慶喜が容保…