2017-01-01から1年間の記事一覧

京都での歴史探訪 その2 大政奉還の二条城

京都史跡めぐり 2日目のコースは、二条城 ---> 京都御所 --> 伏見寺田屋 ~薩摩屋敷で、 午前は、大政奉還の行われた二条城を見学する。 二条城は、初めて訪れたのだが、現在は平成23年から20年の歳月をかけて本格的な修理を行っている最中。それでも、150…

京都での歴史探訪 その1 龍馬葬送の道

9月8日~9月10日の3日間、京都で行われた米熊・慎蔵・龍馬会の歴史探訪ツアーに参加した。 初日のコースは以下の通り。 京都霊山護国神社-->霊山-->お龍の寓居跡--->龍馬葬送の道-->円山公園-->村田サト実家-->中岡慎太郎寓居跡-->近江屋跡-->酢屋 護…

伏見寺田屋にて

「好ましからざる人物」 ペルソナ・ノン・グラータ Persona non grata。 これは外交用語なのだけれど、 9月8日から3日間行われた米熊・慎蔵・龍馬会による京都歴史ツアーの中でも、感じたことだ。 コンピュータの世界ではもう45年ほど前に流行ったが、バー…

神奈川台場

神奈川宿の史跡めぐりをした際、神奈川台場跡を廻ってきた。 神奈川宿からは、旧東海道をはずれ、滝の川に沿って海に向かうとJR貨物の鉄橋に達する。 この左側(東側)の少し先の辺りに神奈川台場があった。 安政5年(1858)、幕府はアメリカ、オランダ、ロ…

横浜・神奈川宿 幕末史跡巡り

神奈川宿の幕末史跡めぐりをしてきた。 昨年末に京都から江戸まで旧東海道を歩いた時は、ウォーキングが目的で、街道沿いの史跡めぐりができなかった。 今年はオランダで建造された開陽丸が榎本武揚達によって横浜に回航されて150周年になり、それを記念して…

桃井春蔵の墓

大阪羽曳野にある桃井春蔵直正のお墓にお参りしてきた。 高祖母・小杉鋹(とし)の先祖に南北朝時代の武将・桃井直常がいるが、「桃井春蔵」はその末裔の一人になるらしい。 桃井直正は、桃井直由(初代 桃井春蔵)が安永2年(1773)に開いた鏡心明智流の志学…

白虎隊剣舞の詩歌

白虎隊墓前祭では、春と秋の年2回、会津高等学校の剣舞委員会により、白虎隊剣舞の奉納が行われる。 剣舞は、 明治17年に日新館の漢学教師の佐原盛純により作詞された漢詩「白虎隊」の詩吟に合わせて行われる。 飯盛山には、明治41年に亡くなった佐原盛純の…

旧東海道を歩く 19日目(12/11) 品川~日本橋

品川宿から、いよいよ旧東海道東下りのゴールの日本橋まで歩く 本日の最終コースはよく親しんだ場所で、特に田町の近辺は小学、中学、高校、大学時代に暮らしていた場所でもあるので、土地勘がある地域になる 日本橋到着後は、千葉定吉の道場跡を経由して旧…

旧東海道を歩く 18日目(12/10) 保土ヶ谷~品川

保土ヶ谷宿から、神奈川宿、生麦村、川崎宿を経て、品川宿まで28キロほどを歩く 保土ヶ谷宿は、戸数558戸、人口2,928人(うち男1,374、女1,554)、本陣1軒、脇本陣3軒、旅籠67軒から成る 0820保土ヶ谷宿を出立、神奈川宿までは4.9kmほど 0905神奈…

旧東海道を歩く 17日目(12/9) 大磯~戸塚

大磯宿から、平塚宿、藤沢宿、戸塚宿を経て東戸塚まで歩く 大磯宿は、戸数676戸、人口3,056人(うち男1.517、女1,498)、本陣3軒、脇本陣0軒、旅籠66軒から成る 東の平塚宿とは2.9km、西の小田原宿とは15.7km離れている。大磯は既に鎌倉時代に宿場町…

旧東海道を歩く 16日目(12/8) 箱根~小田原

箱根宿から、箱根旧街道(東坂)を下り、小田原宿まで歩く 前夜から気温が低く、下りの坂道の丸い石畳は朝霜が溶けて滑るおそれもあるため、注意深く下る必要がある。 箱根路は、年代によって道が移り変わっている ①碓氷道(箱根で最も古い峠路)--> ②足柄道…

旧東海道を歩く 15日目(12/7) 沼津~箱根 その2

(前の記事のつつき) 念願の箱根の西坂を登り、箱根宿までを歩く。 本日は箱根温泉で一泊。 1010緩やかな今井坂から、箱根街道の西坂を登り始める。 1018今井坂を通り、愛宕坂石畳に入る。 1769年に修理した記録によると、「愛宕坂では、長さ140m、幅3…

旧東海道を歩く 15日目(12/7) 沼津~箱根 その1

沼津宿から、三島宿を通り、箱根宿までを歩く。 沼津はもともと中世では漁村で、その地名のごとく蓼草(たでくさ)の生い茂った洲で、蓼原と呼ばれていた。この蓼原の東北に三枚橋の里があった。この地に人家が漸次に発達して沼津となる。元禄以前は三枚橋と…

旧東海道を歩く 14日目(12/6) 蒲原~沼津

蒲原宿から、吉原宿、原宿を通り、沼津宿まで、明日の箱根を前に平坦な道を歩く。 蒲原は神原とも書いた。蒲原の駅はもとは富士川の東岸にあったが、川の氾濫で早くに廃れて、富士川の西側に移る。この地は蒲原丘陵が北方から駿河湾に迫って急崖をなし(広重…

旧東海道を歩く 13日目(12/5) 府中~蒲原

府中宿から、江尻宿、興津宿を通り、薩埵峠を越えて由比宿に入り、蒲原宿まで歩く。 いろんな意味で薩埵峠が楽しみなコース。 0820府中宿を出立、但し時間の都合で東静岡の先までは早駕籠に乗る。 従って、西見附から東見附の間の3.6キロある府中宿はゆっく…

旧東海道を歩く 12日目(12/4) 島田~府中

島田宿から、藤枝宿、岡部宿を経て、宇津ノ谷峠を越えて丸子宿を通り、府中宿まで、31キロを歩く 広重の島田の図絵は、島田の側から西方の金谷の方への河原を、ドローンを使って高い所から大井川を見下ろすように描いている。 0815島田宿を出立。 島田宿は、…

旧東海道を歩く 11日目(12/3) 袋井~島田

袋井宿から、掛川宿、日坂宿を通り、小夜の中山を越えて、金谷宿をから大井川越えまでの35キロを歩く。 アップダウンの多い道程になる。 0740地元の人の吹くホラ貝に送られて、袋井宿の東本陣跡を出立。 0743「東海道どまん中茶屋」を通リ過ぎて袋井宿を抜…

旧東海道を歩く 10日目(12/2) 浜松~袋井

浜松宿から、天竜川を渡り、磐田、見付宿を通り袋井宿まで、26キロを歩く。 浜松の地は、万葉集に「ひき馬(ひくま)」と謳われ、また平安時代の『和名抄』には「波万万津」とみえる。 鎌倉時代の阿仏尼の『十六夜日記』には、「今宵は引馬の宿といふ所にと…

旧東海道を歩く 9日目(12/1) 二川~浜松

二川宿から、白須賀宿、新居宿、舞坂宿を通って、浜松宿まで、36キロほど歩く。 二川宿は、遠江国へ入る三河国の最後の宿になる。 宿駅業務は、当初、二川村と大岩村で行っていたが、二つの村は12町(1.3キロ)離れていて、距離を隔てた継立は不便だっ…

2017年の予定

明けましておめでとうございます。 今年は退職して8年目に入ります。 相も変わらず趣味の世界をさまよっています。 昨年は、先祖調査はあまり進捗しませんでした。 三吉慎蔵の妻・伊予の実家・正村家の末裔の方と面会し史料を頂戴したこと、 最後のバテレン…