桃井春蔵の墓

大阪羽曳野にある桃井春蔵直正のお墓にお参りしてきた。
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高祖母・小杉鋹(とし)の先祖に南北朝時代の武将・桃井直常がいるが、「桃井春蔵」はその末裔の一人になるらしい。
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桃井直正は、桃井直由(初代 桃井春蔵)が安永2年(1773)に開いた鏡心明智流の志学館の4代目桃井春蔵士学館は幕末江戸の三大道場のひとつといわれるが、剣術家・松崎浪四郎が対戦したなかで、特に強かった3名を挙げ、「位は桃井、技は千葉、力は斎藤」という評が明治以降に広まって、のちに江戸三大道場と称されたらしい。 松崎が対戦した4代目桃井春蔵真正は、文政8年(1825)に生まれ、天保9年(1838)に3代目桃井春蔵直雄に入門し、才能を見込まれ、天保12年に17歳で養子となる。 嘉永元年(1848)には免許皆伝になり、嘉永5年(1852年)に直雄が死去し、27歳で4代目桃井春蔵を襲名している。 4代目直正の代で、これまで浮き沈みのあった志学館は再び勢いを盛り返す。 直正は明治になって大阪の誉田神社の社司になり、明治18年(1885)12月3日に61歳で亡くなっている。
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直正の墓は、前方後円墳である墓山古墳の南隣・誉田西墓地の一角にある。
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西墓地の中では一番大きな墓石なので見つけやすい。 墓地の管理者によると、3年ごとに墓地管理料の請求を墓地権利者に行っているが、今年はその年。ただ残念ながら、一昨年の季節の行事案内書は届いていたが、今回の管理料納入の案内書は宛先不明で戻ってきたとのこと。 調べてみるとその権利者の方は岐阜県内で2年前に引っ越しているのが分ったので、連絡を取ってみた。 電話・FAXでやり取りをして、南北朝時代の武将・桃井直常とその長男・次男などお互いの先祖の確認ができた。 ご子孫は、清和源氏から始まる詳細な系図をお持ちで、早速、桃井直常までの系図を送っていただいた。 ただお話を聞くと、本人が今持っているのは原本ではなく、所蔵していた史料はすべて東京の博物館に譲渡したとのこと。 全体の調査をするため、次回上京のおりこれらの史料を拝見させていただくことを計画したい。これで先祖調査が大分進展する見込みとなる。 「 人気blogランキング 」  に参加しました。よろしければ押してくださいませ。
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