先祖調査

今日は長府藩士・三吉慎蔵の祥月命日

三吉慎蔵は世紀の改まった明治34年(1901)に71歳で長府で永眠した。慶應2年(1865)正月の龍馬と生死を共にした寺田屋遭難から35年後になり、今年は没後122年目になる。 明治11年末の慎蔵 晩年の写真 慎蔵の晩年の日記は、字がミミズがのたくったかの…

『 雨窓紀聞 』と『 麥叢録 』との関係について

先日、ヤフーオークションに『雨窓紀聞 下』が出品されたのをfacebookの投稿で知った。 確認すると、商品説明は以下の通り、 [題名] 雨窓紀聞 下、[著者] 竹陰穏士(小杉雅之進) 咸臨丸蒸気方 江差奉行並、 [発行所・発行年] 北畠茂兵衛 明治6年、 [仕様] …

福澤諭吉と小杉雅之進の写真

開陽丸子孫の会による主催で横浜開港資料館を訪れたおり、資料館の協力を得て、寄託されている先祖の史料を拝見する機会に恵まれた。 その中の一つに、小杉雅之進の写真があった。 小杉雅之進の18才の写真で、長崎海軍伝習所で三期生として当時の先端技術…

美嘉保丸遭難の余波

幕臣で海軍士官だった山田昌邦について、facebookで話題になり、気になって調べてみると、僕が従来より伝聞で聞いたことは間違っていた事が判明したので、記録しておきたい。 小杉雅之進は、仙台藩士で鴉組隊長の細谷十太夫の三男・辰三を養子にする。 晩年…

寺田屋遭難と初代伏見町長・江崎権兵衛

坂本龍馬を顕彰した江崎権兵衛は、伏見の事業家であり初代伏見町長を勤めた人物だが、その履歴を調べてみた。 弘化元年7月23日、先代江崎権兵衛の次男として、字家書に生まれる。幼名は源三郎。 初代は江州坂本在仰木村出身で、330年前に伏見両替町に来住し…

龍馬が隠れた材木納屋

龍馬と三吉慎蔵が幕府の捕吏と寺田屋で戦い隙を見て逃走した途次、隠れた材木納屋がある。 ただし鳥羽伏見の戦いで焼失しているので、写真の材木納屋は当時のものではない。 この材木小屋について、伏見奉行所の報告には、 「村上町財木渡世 近江屋三郎兵衛…

寺田屋からの逃走ルート5 薩摩藩伏見屋敷

以前京博にて、「大政奉還150年記念 鳥羽伏見の戦い」展を拝見した。 僕にとっては重要な史料が多いが、目的は、 ①幕末の伏見の地図 ②薩摩藩伏見屋敷の平面絵図 の確認。 展示場に入るとすぐ後ろから、宮川禎一上席研究員が立命大の刀女子2名を案内してやっ…

寺田屋からの逃走ルート4

寺田屋事件での材木納屋から薩摩藩伏見屋敷までの逃走ルートを調べている。 動けない龍馬は材木納屋に隠れ、三吉慎蔵が単独で伏見屋敷を目指した。 ところで、慎蔵は伏見市中の地理に明るく、伏見屋敷の場所を正確に知っていたのだろうか。 伏見は、京と大坂…

寺田屋からの逃走ルート3

寺田屋の裏の車町の通りから、村上町の材木納屋までの逃走ルートを考えてみたい。 まず幕末時の地図を確認する。(但し地図は、京都府紀伊郡伏見役場が後に作成) 右端(東)に「御役屋敷」と表示して伏見奉行所がみえる。 過書町や村上町は材木商いが活発で、…

寺田屋からの逃走ルート2 材木納屋

龍馬と慎蔵が避難し隠れた材木納屋を確認したい。 二人が隠れたという材木納屋があった辺りの写真。左側に大手橋(昭和15年11月竣工)が見える。 東京大学史料編纂所所蔵の写真。左側にも納屋がみえる 龍馬は書簡に、 寺田屋の裏の住家を破ってから、「町に…

寺田屋からの逃走ルート1 寺田屋

坂本龍馬と三吉慎蔵が逃走した経路を調べている。 まずは出発点の寺田屋のその敷地について。 鳥羽伏見の戦いで焼失した寺田屋について、その敷地が実際に記録にあらわれるのは明治になってからなので、これから調べてみる。 江崎権兵衛が明治26年5月27日に…

慶應2年1月23日は寺田屋遭難があった日

157年前の今日が、龍馬と三吉慎蔵の寺田屋遭難の日 時刻は旧暦の慶応2年正月23日八ツ時頃(午前2時頃)。 当時の1日は日の出から日の出までなので23日。今風には24日午前2時頃。 西暦では1866年3月10日。要は事件が起きたのは冬ではなく…

長府藩士三吉慎蔵の妻

伊予70歳ころ 一昨日は、三吉慎蔵の妻伊予の祥月命日伊予は長府藩士・正村喜三郎の三女で、明治44年(1911)1月に没している。享年71才。慎蔵は小坂(おさか)土佐九郎の次男で、安政4年(1856)3月に三吉十蔵の養嗣子となる。その翌安政5年1月23日に、…

TV放送(ロマン?)と史実

先日、「カメラを止めるな!」のTV放送を拝見したので。 その映画の中での監督役の俳優が「三吉慎蔵」役で登場している2019年正月放送の「坂本龍馬暗殺の実況中継」の録画をあらためて観てみた。

2023年の予定

明けましておめでとうございます。 昨年も遠出はしませんでしたが、良き出会いがあり多くの知人ができ喜んでいます。 今年もよろしくお願いいたします。 早いもので、今年は趣味の世界に入り14年目になります。

ある集合写真の人物特定

僕の母方の河島家に、左端が焼けた一葉の写真がある。 太平洋戦争のあと、河島家が類焼で火事になったときに焼け場から出てきた数葉の写真のひとつだ。何かの記念の集合写真と思われ、僕には顔が分からない先祖が写っているはずなので、資料をもとに人物の特…

毛利家書状 原本初確認

貴重な史料が発見された。 戦国時代、中国地方を治めていた毛利家が「中国攻め」の際に家臣の湯原春綱に宛てた書状など200点以上の書状の原本で、 書状は、1560年代から1580年代にかけて、毛利元就をはじめ、毛利輝元や吉川元春などが送ったものとのこと。 1…

生野義挙数日間の北垣晋太郎の行動

生野義挙を記録したものとして、地元但馬から参加した小山六郎が書き残した「但馬義挙実記」がある。 六郎が生野義挙を追懐し義挙の真相を記した貴重な資料で、覚書には義挙の参謀に任じられた木曽源太郎(旭健)が注釈を加筆しており、『維新日乗纂輯 二 』…

幕臣一家

5月15日は、154年前の慶應4年に上野にて戦争のあった日になる。 この日、幕臣の高祖父・河島由路は16歳の長男由之と一緒に彰義隊に参加して黒門口で戦い戦死している。 したがって旧暦の5月15日前後に行われる彰義隊慰霊祭は、僕にとっては高祖父の河島由路…

八・一八の政変と三吉慎蔵

攘夷の期限が文久3年5月10日と決まったが、5月10日の攘夷期限には長州のみが攘夷を行い他には同調する藩がなかった。 下関海峡を挟んだ小倉藩も砲撃に協力せず、両岸からの砲撃が成立しないため、砲弾が届かず外国船に決定的なダメージを与えられない。 従っ…

祖父の恋

2015年のことだ。 信州上田にて郷土関係の本を求めて書店に入ったのだが、岩波文庫の赤帯、シュトルム作の短編「みずうみ」に目がとまり買っていた。 この本を僕は47年ぶりに手にしたのだった。 47年前、81歳の祖父は病床に臥していた。 見舞いに行っ…

「文楽座」命名150年法要

昨日3/1、大阪の夕陽丘の円成院にて初代植村文楽軒、四代植村文楽軒(文楽翁)など代々の植村文楽軒の法要が執り行われ参列させていただいた。 文楽協会、人形浄瑠璃文楽座、国立文楽劇場の立派な花が供えられ、 中央には右から、植村家先祖代々之霊位、初代…

「わげもん 長崎通訳異聞」の2回目

僕にとってはなかなか示唆に富む内容だった。 内容は史実を踏まえながらも、もちろん架空の人物や架空のお話でドラマは進む。 残念ながら今の出島には今村家や楢林家の先祖が勤めていたオランダ通詞部屋は復元されていないが、今回のドラマではそのオランダ…

東京を整備した山尾庸三

東京築地にある「訓盲院発祥の地」碑からの連想。 明治になってから洋風の建造物が作られていくが、初期の建築には幕末に活躍した人物の名がよく出てくる。 訓盲院の建築は、お雇い英人のジョサイア・コンドルの設計になるが、以下の経過をたどった。 明治8…

三吉慎蔵についての間違い

最近、三吉慎蔵についての投稿をよく目にします。 先日も、 「江戸時代、幕末の日本で坂本龍馬を護衛した凄腕の槍術使い『三吉慎蔵』とは」との題で、Japaaanマガジンの記事を眼にしました。 Japaaanマガジンの幕末関係記事はあまりにも誤りが多いので読まな…

いろは丸事件

三吉慎蔵宛ての長府藩士・印藤聿の書簡がある。 「坂本先生が今朝、下関に帰ってきたそうです。 夕刻までには出帆し、上方へ登るとのこと、伊藤九三より申してきました。 龍馬のために大小(本差と脇差)を送るよう伝言がありました。 伊藤からの使いに持た…

三吉慎蔵と江川塾

長府藩士三吉慎蔵は、幕末に2回江戸へ下っている。 その最初は、安政5年(1857)。 藩主毛利元周の参勤交代の先着として3月17日に江戸入りした。 そして翌年江戸を離れるまでは様々な事件が起きている。まだ政局の中心は江戸だった。 4月23日に井伊直弼が大老…

青天を衝け! 戊辰戦争へ

いよいよ日本では大政奉還後から戊辰戦争へと激動の時代に入っていく。 今回以降しばらくは、僕にとって身近な話が出てくるようだ。 慶応4年の鳥羽伏見の戦いでの敗戦を機に、徳川慶喜は松平容保など側近や幹部を連れて開陽丸にて江戸に帰る。 <慶喜が容保…

藤四郎のこと

史実ほど面白いものはない たとえば、福岡藩の幕末の動き。 蘭癖といわれた開明的な藩主黒田長溥の考えは、「開国し政権が変わなければ日本の未来はないが、幕府は潰さず、朝廷と合同しそのまま改革すべし」という保守的な立場をとっていた。 一方どこの藩に…

太平記のなかの桃井直常

昨年から、南北朝期を大河ドラマで初めて描いた「太平記」を観ている。 初回放送は1991年1月6日から12月8日の期間に行われ、今回はコロナ禍の中、再放送された。 大河ドラマとしては、 100年続いた北条政権の専制や退廃した鎌倉幕府に対し、倒幕の挙兵をした…