2009-10-01から1ヶ月間の記事一覧

大阪南部の史跡を訪ねて

昨日、大阪龍馬会主催の「大阪南部の史跡めぐりー吉田松陰ゆかりの地を訪ねてー」に参加して きた。 吉田松陰は安政6年(1859)10月25日に 「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」と辞世の句を詠み、27日に斬首された。 その同じ25日の史跡…

子孫からみた咸臨丸の歴史

逗子で開催された掲題の講演会を拝聴してきた。 素晴らしいの一言に尽きる内容であった。 講演は、小杉伸一氏の10年以上の研究成果をベースにした、全部で190頁弱のビジュアルなパソコン画面を使っての説明で、とても分りやすい。 史料を掘り起こし、その…

函館・木古内・江差・松前の旅  (最後は空の旅)

9/24 旅の締めくくりとして空から、戊辰戦争の激戦地を終結した場所より逆に辿る。 五稜郭 明治元年10月26日無血入場 明治元年12月15日蝦夷仮政権樹立 明治2年5月11日五稜郭艦砲射撃 明治2年5月16日五稜郭で降伏を決議、18日開城 激戦の箱館市街と湾遠方に矢…

函館・木古内・江差・松前の旅その5 (函館)

9/23 函館市内の史跡・博物館めぐりをしてきた。回ったコースは以下の通り。 千代ヶ岡陣屋跡---->函館市立中島小学校---->中島三郎助父子最期之地---->五稜郭展望台---->五稜郭---->土方歳三記念館---->函館博物館---->市営谷地頭温泉---->碧血碑---->函館八…

函館・木古内・江差・松前の旅その4 (松前~木古内)

9/22昼 松前を出発し、福島経由木古内へ向う 北海道最南端となる、津軽海峡に臨む白神岬で一時休憩。 入り口でキタキツネが出迎えてくれた。 福島町で、青函トンネル記念館に立ち寄った。巨大なトンネル掘削機が展示されている。 木古内で吉澤さんに再会し、…

函館・木古内・江差・松前の旅その3 (松前)

9/22 開陽丸の子孫の会の皆さんと、江差~松前~木古内~函館までをバスで旅する。 江差町のご好意により町がバスを提供され、休日なのでボランティアで運転された。 咸臨丸子孫の会小林会長、小杉さんとは、ここ江差で別れる。10月に逗子でまたお目にかかる…

函館・木古内・江差・松前の旅その2 (江差)

9/21昼 咸臨丸子孫の会の小林会長、小杉事務局長と同道で列車に乗り木古内から江差に着く。 駅の改札を出た所で江差・函館に在住する親戚の方々の出迎を受けた。 初めて会う河島家・干場家の人たちで、戊辰戦争・上野戦争から数えて140年目の再会といっても…

函館・木古内・江差・松前の旅その1 (木古内)

9/20~9/24まで、箱館戦争関連の旅をしてきた。 今回の旅の目的は、主に以下の通り ①江差・函館にいる親戚河島家・干場家の皆さんに初めて会うこと ②咸臨丸子孫の会の事務局小杉氏に会うこと ③開陽丸子孫の会の皆さんに会うこと ④江差-松前の史跡めぐりをす…

乃木家と三吉家

昨日は驚くことがあった。社内に遠い縁由がいたのだ。20数年間気が付かなかった。 山口の長府で、乃木家と小坂家(慎蔵は後に三吉家の養子になる)は隣近所であり、代々仲がよく、家族ぐるみの付き合いをしていた。 幕末時は、乃木希典の父希次が慎蔵を、後…

鞆の浦 埋め立て差し止め

画期的な判決が出た。 広島地裁判決で、埋め立て・架橋事業は合理性を欠き差し止め、また景観は国民の財産であり保護に値するとした判決。 鞆の浦にはここ5・6年、龍馬関連の史跡めぐり、お雛様の見学などで、4回ほど訪ねた。 朝鮮通信使が、「日東第一形…