2015-03-01から1ヶ月間の記事一覧

三吉慎蔵と善勝寺

下関で開催された長清会の翌日、3/22に長府と清末の間にある善勝寺を訪ねてきた。 江戸末期、このお寺の三女・津原かつ子が長府藩士小坂土佐九郎に入嫁した。 かつ子は、三吉家に養子に行った慎蔵の実母になる。 善勝寺は、下関市王司地区神田の、津原山の麓…

下関にて中山忠光公史跡めぐり

3/21晩に下関にて長清会が開催されるため、それまでの間、忠光公の史跡を回ってきた。 中山神社に用がありついでに史跡めぐりを思いついたのだが、現地については全くの地理不案内でもあったので、地元下関のFB友達の伊佐さんの快諾を得て、コース案作りも…

井上聞多のこと

これは困った。 井上聞多の妹厚子は、来島又兵衛の長男・森清蔵に嫁いでいたのか、これは知らなかった。 三吉慎蔵-->船越清蔵-->来島又兵衛-->井上聞多となり、慎蔵とは遠いが、毀誉褒貶の分かれる聞多と縁続きになってしまう。 慎蔵はこのことを知っていた…

長清会と毛利秀元公銅像の建立

3/21、下関の天白ひらこし「ふく楽舎」にて美味しいフグを頂きながら、第二回目の長清会が開かれた。 この会は、現下関市域のほとんどを占める長府藩・清末藩の子孫や関係者の、会員同士の懇親と下関発展への寄与を目的にしている。 まず、開会にあたって、…

三吉慎蔵と中山忠光公 その1

中山忠光公について、『三吉慎蔵日記』には2か所の記述がある。 最初は、忠光公が攘夷のため馬関の台場を視察に来関したときに慎蔵が御付となり警護したとき。 〇文久三年四月十六日 「 中山侍従殿攘夷期限ニ付萩表御下向之処宗藩宮城彦助御付ト相成 馬関台…