長清会と毛利秀元公銅像の建立

3/21、下関の天白ひらこし「ふく楽舎」にて美味しいフグを頂きながら、第二回目の長清会が開かれた。 この会は、現下関市域のほとんどを占める長府藩清末藩の子孫や関係者の、会員同士の懇親と下関発展への寄与を目的にしている。 まず、開会にあたって、副会長内藤知則氏より、 会長に清末毛利家当主が就任されているが、長府毛利家当主毛利元海氏には名誉会長に就任して頂ただいてはいかがかと参加者に諮られ、全員の賛同のもと、元海氏(名代ご令嬢陽織さま)に名誉会長をお引き受け頂いた。 これで、長清会は、長府藩家老三吉家と清末藩家老内藤家の末孫の方が各々副会長で世話人となり、清末毛利家の菩提寺である高林寺に事務局が置かれ、会として形ができあがったことになる。 つづいて、事務局より、毛利秀元公の銅像建立の件について報告がなされた。
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趣旨について説明される副会長勝原一明氏(長府藩家老三吉周亮ご子孫)
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すべてはこれからだが、無事建立につなげたいものだ。 今回の会合には、長府毛利家、清末毛利家、徳山毛利家、藩士、豪商など、この地域にゆかりのある末裔の方々が福岡や東京の遠方から集まって来られた。 会長の清末毛利家当主毛利元晶氏の挨拶
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名誉会長名代の毛利陽織様の挨拶のあと来賓の挨拶がつづく 中尾下関市
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徳山毛利家当主毛利就慶氏 徳山毛利家は、萩毛利家とおなじく先祖が長府毛利家から養子に入っている
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清末毛利家末孫の毛利元博氏の乾杯で、いよいよ懇親会に入った。 初対面の方でも先祖同志が知り合いでもあり、全くの他人と思えず、すぐに昵懇になってしまう。 子孫同志が集まるこういう席では、家に伝わる話が出ることが多く、初めて知る内容を聞くことができるのも楽しみのひとつだ。 三吉慎蔵は、幕末時は近侍扈従役として元周公近くで仕え、最後は若殿様(元敏公)御付役専任となっている。 明治になって、長府毛利家元敏公の御付・家令、家政協議人ともなり、生涯を長府毛利家に捧げたといってよいのだろう。そんな意味では、毛利家当主とは当時の話では話題に事欠くことはないのだが、まだまだ立ち入った話はしていない。 前回、清末毛利家当主と話して初めて知ったことだが、信州上田出身で清末毛利家に婿入りされ、上田に在住している慎蔵の曾孫の高校の後輩にあたるという。これも奇遇なのだろうか、世間は狭いものと思ったことだった。 このほか、多くのゆかりの方々の中で、印藤聿、白石正一郎、伊藤助太夫など龍馬・お龍とも関係の深い御子孫とも旧交を温めさせていただいた。 伊藤助太夫の子孫の方々と
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お話していて皆さんに共通の関心事項は、旧蔵の史料の保管の件。僕としては、とにかく長府博物館への寄贈をお奨めしている。 宴が終わるころ、野々村勘九郎の御子孫から今月出版された著作を頂戴した。 当時の幕末政局の中で様々な立場を取られた子孫の方々が集まってくるが、幕末当時は対立関係にあっても、もちろん今はそんなわだかまりは全くない。和気あいあいとした雰囲気で、またお会いすることを誓って会合はお開きとなりました。
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