2017-01-01から1ヶ月間の記事一覧
品川宿から、いよいよ旧東海道東下りのゴールの日本橋まで歩く 本日の最終コースはよく親しんだ場所で、特に田町の近辺は小学、中学、高校、大学時代に暮らしていた場所でもあるので、土地勘がある地域になる 日本橋到着後は、千葉定吉の道場跡を経由して旧…
保土ヶ谷宿から、神奈川宿、生麦村、川崎宿を経て、品川宿まで28キロほどを歩く 保土ヶ谷宿は、戸数558戸、人口2,928人(うち男1,374、女1,554)、本陣1軒、脇本陣3軒、旅籠67軒から成る 0820保土ヶ谷宿を出立、神奈川宿までは4.9kmほど 0905神奈…
大磯宿から、平塚宿、藤沢宿、戸塚宿を経て東戸塚まで歩く 大磯宿は、戸数676戸、人口3,056人(うち男1.517、女1,498)、本陣3軒、脇本陣0軒、旅籠66軒から成る 東の平塚宿とは2.9km、西の小田原宿とは15.7km離れている。大磯は既に鎌倉時代に宿場町…
箱根宿から、箱根旧街道(東坂)を下り、小田原宿まで歩く 前夜から気温が低く、下りの坂道の丸い石畳は朝霜が溶けて滑るおそれもあるため、注意深く下る必要がある。 箱根路は、年代によって道が移り変わっている ①碓氷道(箱根で最も古い峠路)--> ②足柄道…
(前の記事のつつき) 念願の箱根の西坂を登り、箱根宿までを歩く。 本日は箱根温泉で一泊。 1010緩やかな今井坂から、箱根街道の西坂を登り始める。 1018今井坂を通り、愛宕坂石畳に入る。 1769年に修理した記録によると、「愛宕坂では、長さ140m、幅3…
沼津宿から、三島宿を通り、箱根宿までを歩く。 沼津はもともと中世では漁村で、その地名のごとく蓼草(たでくさ)の生い茂った洲で、蓼原と呼ばれていた。この蓼原の東北に三枚橋の里があった。この地に人家が漸次に発達して沼津となる。元禄以前は三枚橋と…
蒲原宿から、吉原宿、原宿を通り、沼津宿まで、明日の箱根を前に平坦な道を歩く。 蒲原は神原とも書いた。蒲原の駅はもとは富士川の東岸にあったが、川の氾濫で早くに廃れて、富士川の西側に移る。この地は蒲原丘陵が北方から駿河湾に迫って急崖をなし(広重…
府中宿から、江尻宿、興津宿を通り、薩埵峠を越えて由比宿に入り、蒲原宿まで歩く。 いろんな意味で薩埵峠が楽しみなコース。 0820府中宿を出立、但し時間の都合で東静岡の先までは早駕籠に乗る。 従って、西見附から東見附の間の3.6キロある府中宿はゆっく…
島田宿から、藤枝宿、岡部宿を経て、宇津ノ谷峠を越えて丸子宿を通り、府中宿まで、31キロを歩く 広重の島田の図絵は、島田の側から西方の金谷の方への河原を、ドローンを使って高い所から大井川を見下ろすように描いている。 0815島田宿を出立。 島田宿は、…
袋井宿から、掛川宿、日坂宿を通り、小夜の中山を越えて、金谷宿をから大井川越えまでの35キロを歩く。 アップダウンの多い道程になる。 0740地元の人の吹くホラ貝に送られて、袋井宿の東本陣跡を出立。 0743「東海道どまん中茶屋」を通リ過ぎて袋井宿を抜…
浜松宿から、天竜川を渡り、磐田、見付宿を通り袋井宿まで、26キロを歩く。 浜松の地は、万葉集に「ひき馬(ひくま)」と謳われ、また平安時代の『和名抄』には「波万万津」とみえる。 鎌倉時代の阿仏尼の『十六夜日記』には、「今宵は引馬の宿といふ所にと…
二川宿から、白須賀宿、新居宿、舞坂宿を通って、浜松宿まで、36キロほど歩く。 二川宿は、遠江国へ入る三河国の最後の宿になる。 宿駅業務は、当初、二川村と大岩村で行っていたが、二つの村は12町(1.3キロ)離れていて、距離を隔てた継立は不便だっ…
明けましておめでとうございます。 今年は退職して8年目に入ります。 相も変わらず趣味の世界をさまよっています。 昨年は、先祖調査はあまり進捗しませんでした。 三吉慎蔵の妻・伊予の実家・正村家の末裔の方と面会し史料を頂戴したこと、 最後のバテレン…