品川沖の榎本艦隊その2

「榎本艦隊最後の雄姿」との題で写真が載っている「別冊歴史読本ビジュアル版」(昭和63年)を入手した。

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この写真は、『幕末・明治の日本海軍』に掲載されている写真や、Wikipeia「榎本武揚」に掲載の写真の元になったもので、説明には、「この写真は幕臣松尾一化子旧蔵の紙焼きを所持していた造船史の権威・故山高五郎氏から海事評論家の飯盛汪太郎氏が譲り受け、複写したものを、飯盛氏のご厚意により借用しました。」 との註がある。 ただし、松尾一化子は、松尾樹明(梅本貞雄、1900年 - 1961年)のことで、日本初の写真史家といわれている人物であり本人は幕臣ではない。撮影した人物と撮影した場所・年月日は、この複写写真だけでは判断はできない。 写真をみると、全部で6隻の船が写っている。

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その特徴をマスト、帆装艤装、動力の点からみてみる。 帆装艤装の説明は、『海王丸体験航海テキスト』によると以下の通りIMG_9167.JPG

 

右から、 1隻目 3本マスト、バーク型、外輪?

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2隻目 3本マスト、シップ型、動力不明(但し煙突らしきものあり)

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3隻目 3本マスト、バーク型、動力不明(但し煙突らしきものあり) 手前に浮かぶのは小舟らしい

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4隻目 2本マスト、帆装不明、外輪? 5隻目(4隻目の後方) 3本マスト、帆装不明、動力不明

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6隻目 3本マスト、帆装不明、動力不明

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榎本武揚は、慶応4年8月19日、開陽丸、回天丸、蟠龍丸、千代田形、神速丸、美賀保丸、咸臨丸、長鯨丸の8隻で編成した旧幕府艦隊を率いて江戸を脱出した。

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従ってとりあえず、写真に写っているのはこの8隻の中のいずれかの船と考えられる。 この8隻には、次のような外形上の特徴がある。

①開陽丸 マストは3本、シップ型

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②回天丸 マストは3本、煙突が2本、バーク型、外輪船

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③蟠龍丸はマストは3本、スクーナ

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④千代田形は2本マスト、スクーナ

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⑤神速丸 2本マスト、スクーナ

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⑥美賀保丸 マストは3本、シップ型、蒸気船ではなく帆船である。従って煙突がない

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⑦咸臨丸 慶應2年11月蒸気機関を外しているので、美賀保丸と同じく帆船である。   蒸気機関を外す前の咸臨丸の絵  3本マスト、バーク型

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⑧長鯨丸 マストは2本、スクーナー、外輪船

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 各々の船の全長は、 開陽丸(72.8m)、回天丸(69m)、蟠龍丸(42.2m)、千代田形(31.3m)、神速丸(41.6m)、美賀保丸(52.2m)、咸臨丸(48.8m)、長鯨丸(77.6m)

マストでみると、 2本マストは、3隻(千代田形、神速丸、長鯨丸) 3本マストは、5隻(開陽丸、回天丸、蟠龍丸、美賀保丸、咸臨丸)

 

帆装艤装でみると、

シップ型は、2隻(開陽丸、美賀保丸)

バーク型は、2隻(回天丸、咸臨丸)

スクーナー型は 、4隻(蟠龍丸、千代田形、神速丸、長鯨丸)

 

動力でみると、

外輪は、2隻(回天丸、長鯨丸)

 スクリューは、4隻(開陽丸、蟠龍丸、千代田形、神速丸)

帆船は、2隻(美賀保丸、咸臨丸)

 

動力を度外視して、この8隻の特徴を写真の6隻に右から当てはめてみると、以下のようになる。

1隻目 3本マスト、バーク型、外輪?  ====>回天丸

2隻目 3本マスト、シップ型、動力不明   ===>開陽丸(or美賀保丸)

3隻目 3本マスト、バーク型、動力不明 ===>咸臨丸

4隻目 2本マスト、帆装不明、外輪?  ====>長鯨丸(or千代田形or神速丸)

(4隻目の後方)の 5隻目 3本マスト、帆装不明、動力不明 ====>美賀保丸(or蟠龍丸)

6隻目 3本マスト、帆装不明、動力不明 ====>蟠龍丸(or美賀保丸)

 

つぎは、外輪の有無、煙突の有無が判定基準になる。 当時の帆船は煙突が高く、帆走など不要なときは引き込むか折りたたんでいる。 咸臨丸ではスクリューすら引き込む構造になっていた。煙突が見えないと外形からではなかなか純粋の帆船か蒸気船かはわかりにくい。

写真が鮮明ではないが、 1隻目は、左側に外輪らしきものが認められる。従って回天丸。

2隻目は、畳んだ煙突らしきものがみえる。従って開陽丸。

3隻目は、バーク型船で、煙突がないのは咸臨丸しかない (但し畳んだ煙突らしきものが見えるので、果たして咸臨丸か疑問は残る)

4隻目は、外輪らしきものが認められるため長鯨丸

その後方の5隻目は帆装不明だが、3本のマストに横帆の帆桁があるようにも見える。 横帆があれば、5隻目は美賀保丸であり、6隻目は蟠龍丸となる。 横帆がなければ、5隻目は蟠龍丸であり、6隻目は美賀保丸となる。

なお、『別冊歴史読本ビジュアル版』と 『幕末・明治の日本海軍』では、一番左端の船を、神速丸としている。神速丸の場合、2本マストで船尾にさらに日の丸を掲揚する柱が立っている。写真では船尾寄りの柱はマストよりやや低い柱とも認められるが、今回は3本の帆柱のマストとして神速丸ではないとしておく。

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参考:『幕末・明治の日本海軍』     

Wikipedia榎本武揚」     

『小杉雅之進が描いた箱館戦争』     

茂呂司氏facebook

 

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