ディアナ号は帆船のはずだが

だいぶ前になるが、京都維新を語る会の会合にて面白い史料を見せていただいた。 プチャーチン嘉永6年(1853)7月に長崎に来航したときの絵がある。そこには、4隻の船と幕府役人やロシア使節が描かれている。 船の1隻はパルラーダ号で、ディアナ号と同型の帆船のフリゲート艦だ。620605_211311478996601_336091571_o.jpg ディアナ号は、翌安政元年(1854)にプチャーチン使節一行を乗せ、国交を求めて伊豆・下田港に入港したが、安政東海地震による津波で大破し、修理のため戸田港に向かう途中で、強い西風に煽られ座礁沈没してしまう。 その事前に下田港で陸揚げした52挺の大砲の行方が幕末の一つの謎で、その行方には興味が尽きない。 絵のバルラーダ号の説明には大砲52挺とあるので、搭載していた大砲の数もディアナ号と同じと分かる。 従って、この絵はディアナ号を描いたとしても同じように絵になるのだろう。 ところで船体の真ん中にある白いのは煙突だろうか? 港の出入りは機走(エンジンで走る)が一般なので、煙突を立ていつでも機走出来る状態の絵のようにみえる。 実は蒸気船で、咸臨丸も帆走の時は邪魔になる煙突は倒しているように、ディアナ号も帆走時は煙突を倒していたのだろうか? ちなみに戸田村郷土資料博物館にソ連から贈られたディアナ号の模型は、帆は張って煙突らしきのものが倒してあるが、 バルラーダ号もディアナ号も帆船に分類されている。 しかしパルラーダ号もディアナ号も蒸気船との話は聞かない。 今までディアナ号の絵や模型で煙突が立ってるのを見たことはないが、この絵が今までの説を覆すのだろうか? ちなみに、嘉永6年7月に長崎に来航したロシア艦で、パルラーダ号以外の3隻の絵図を挙げておく。234873814_3977505715710473_3756132636142324004_n.jpg こちらには蒸気船がいるが煙突は黒。蒸気船には外輪が確認できないのでスクリュー船と思われる。 「 人気blogランキング 」  に参加しました。よろしければ押してくださいませ。
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