2015-07-01から1ヶ月間の記事一覧

幕府軍艦・咸臨丸の絵

咸臨丸を描いた絵は、 実に多くあるが、一点不思議なことがある。 咸臨丸を建造したオランダで発見された咸臨丸の総帆画をみると、マストが3本。 船首側から、フォア・マスト、メイン・マスト、ミズン・マストと呼ぶ。 フォア・マストと、メイン・マストは…

幕府軍艦・咸臨丸の写真

咸臨丸の写真は、あるとも、ないとも言われているが、明確ではない。 取りあえず調べたことを中間報告としておきたい。 咸臨丸については、文倉平次郎が半生をかけて調査し纏めた名著『幕末軍艦咸臨丸』がある。 文倉は、これが咸臨丸だとして、本編巻頭に絵…

「花燃ゆ」7月19日放送  山口から萩へ

今回のドラマの関心事は、移鎮した山口から一時的に萩へ戻ったこと 文久3年(1863)、萩藩は藩庁を萩から山口へ移鎮する際に、5月10日の攘夷実行に当たり萩では指揮が不便なためと申立て、その月に滞京中の老中板倉勝静のもとへ居城移転を提出したが、その前…

「花燃ゆ」7月5日放送  蛤御門

今回のドラマの関心事は、禁門の変の由来となった蛤御門 この門と関係の深い町が、宝塚の小浜(こはま) 小浜は15世紀末頃に小浜庄として開かれたらしく、有馬街道、西宮街道、京伏見街道の3つの街道が交差する場所となり、宿場町として栄えた。 そのため、…

「花燃ゆ」7月12日放送  講和談判の代表

今日のドラマの関心事は、下関戦争の講和談判の代表 長府藩士・三吉慎蔵の家系図をみると、 三吉家初代は、先祖の本国・備後にて城持ちで三吉下総守と名乗る。その孫・三吉政房のときに、備後国から長門長府へやって来て、その子の正則は長府藩主毛利秀元に…

「花燃ゆ」6月7日放送 久坂玄瑞一家

今回のドラマでの関心事は久坂玄瑞とその家族のこと 小田村伊之助と三吉慎蔵とは早くから交流があるが、玄瑞と慎蔵とは明確ではない。 伊之助と慎蔵は、文久3年(1863)の八・一八政変の1ヶ月ほど前に一緒に京都へ出張する。それ以後、二人は親密な中になり…

「花燃ゆ」6月7日放送 八・一八前後の行動

今回の関心事は、小田村伊之助の八・一八前後の行動。 ドラマでは、藩主に大和行幸の予定を報告し、藩士を随行させる許可を貰っている。この前後のことは『楫取素彦覚書』にもあるが、他の史料で補足してみたい。 文久3年(1863)5月10日の攘夷期限にあたって…

「花燃ゆ」6月21日放送  萩藩世子の毛利定広

今回のドラマの関心事は、長州萩藩世子の毛利定広 定広は、天保10年(1839)9月22日生まれで、徳山藩毛利家から養子になり、ドラマの元治元年(1864)6月頃は数えで26才。 このとき、天保10年8月20日生まれの高杉晋作は1ケ月生まれが早いが、世子と同じ26才に…

「花燃ゆ」6月14日放送 来嶋又兵衛

今回のドラマの関心事は、来島又兵衛 三吉慎蔵の三吉家を調査していて、慎蔵と縁者になる船越清蔵が、又兵衛とも縁者になることが分ってきた。 少しややこしいが、三吉慎蔵と来島又兵衛との関連を明らかにしておきたい。 江戸時代、長男でなければ原則として…

「花燃ゆ」5月17日放送  長井雅楽

今回のドラマで気になったのはやはり長井雅楽のこと このドラマはとにかく展開が速いので、重要な事実の起承転結が省かれる。 航海遠略策にしても提言されあっという間に藩論となり、そして直ぐ(2週間後には)破約攘夷に置き換えられる。 長井雅楽や航海遠…

「花燃ゆ」5月17日放送 晋作の短銃

今回の関心事は、晋作が上海で求めたピストル ドラマでは、短銃は1丁しかないようだが、晋作は文久2年(1862)に上海で2丁の短銃を購入している。 晋作の上海日誌『遊清五録』によると、 6月8日の条に「午後到蘭館、求短銃及地図」 6月16日の条に「与中牟田…

「花燃ゆ」5月24日放送  攘夷実行

文久3年(1863)5月10日の攘夷期限の日、長州の砲台が火をふいた この日、いわゆる攘夷が行われたのだが、実行したのは長州一藩だけで、攘夷実行の舞台は長府藩領と続く海域でのみだった。。 長府藩の御家記『毛利家乗』にこの砲撃について若干記述がある。 『…

「花燃ゆ」5月3日放送 お雛様

今回の放送で一番気に入っているのが、3月3日 桃の節句の場面 お雛様と内裏様が、古来からの陰陽の伝統に則って配置されている 定年を前にして、無趣味だった僕は、無理やりいくつか趣味をこしらえた。 ①先祖調査 ②幕末の歴史研究 ③史跡めぐり ④古写真研究…

「花燃ゆ」5月10日放送 松浦亀太郎

今回の関心事はやはり松浦亀太郎 松陰の様々な絵を描き残したことで有名だが、 僕にとって関心があるのは京都霊山の関係として・・・ 京都洛東霊山の霊明神社は、幕末の文久2年から戦死・変死した志士の神道祭を執り行ってきた。 この霊山での神道祭の最初…

幕末維新殉難志士の慰霊祭

禁門の変の日の7月19日、京都洛東霊山の霊明神社にて、霊明神社奉賛会主催の「幕末維新殉難志士の慰霊祭」が行われた。 霊明神社は、幕末維新にかけ、主に長州系志士達の葬送・祭祀の地となるが、藩の枠を超えて、暗殺・戦死など殉難・変死した志士達も葬っ…

中山忠光卿の正室・富子のこと

4月に著者から謹呈頂いた『志士の峠』を今頃読んでいる。 忙しかったとはいえ誠に失礼なことであった。 読み始めるとなかなか面白く、また教えられることが多い。 中山忠光卿の奥方は、平戸藩主・松浦熈の娘富子だが、江戸屋敷の生まれ育ちとのこと。 天誅組…

小坂家の出身地・備中国小坂村

三吉慎蔵の実家・小坂家の出身地・備中国小坂村を調べている。 調査はとりあえず、以下の資料から行った。 ①藤井駿氏「三聖寺文書に見える備中国小坂庄」 ②鴨方町「鴨方町史」 備中国小坂村については、①の藤井駿氏の研究が秀逸で、小坂村について初めて史料…

桃井家と幸若舞

「幸若舞」と聞くと、織田信長が桶狭間の戦いの出陣直前に舞い謡った「敦盛」の場面を思い浮かべる。 当初、幸若舞はお祝いの意味合いが強かった。しかしだんだんと、平家物語や曽我物語など軍記物を取り入れた曲目が増え、武士の華やかにしてかつ哀しい物語…