「花燃ゆ」7月5日放送  蛤御門

今回のドラマの関心事は、禁門の変の由来となった蛤御門
画像
この門と関係の深い町が、宝塚の小浜(こはま) 小浜は15世紀末頃に小浜庄として開かれたらしく、有馬街道、西宮街道、京伏見街道の3つの街道が交差する場所となり、宿場町として栄えた。 そのため、江戸幕府から交通の要衝として重視され番所も置かれた。
画像
小浜は、大工や左官のたくさんいた町で、大工組「小浜組」を結成していた。 小浜組の大工は、阪神間の大き建造物(武家屋敷・本陣・庄屋・寺・神社等)を数多く建築しており、大工の腕の良いことが京阪神地区に知れ渡っていた。小浜組の大工弟子になるには3両持って行かなければ入門できなかったという。
画像
大工組頭としては、白井藤兵衛、加茂屋喜兵衛、大黒屋伊兵衛、亀井亀蔵、明田、今井の名が知られているが、特に幕末のころは 「西村則周」 が有名である。 西村則周は、戊辰戦争後に、戦乱で壊れた京都御所蛤御門の再建や、大坂難波別院御堂の建築などで活躍した、名だたる匠だった。 禁門の変、鳥羽伏見の戦で京都の町が焼け野原になると、禁裏幕府の御用大工棟梁・中井主水から、蛤御門を含め再建せよと小浜の大工にもお声がかかり、およそ100名の大工を派遣し、大阪淀川を京都までのぼり、約2ヶ月程で修理を終えたという。 蛤御門の移築は、この時のことである。      小浜に残る西村則周の家
画像
     小浜地区の墓地と、西村則周の墓
画像
画像
話はそれるが、幕末の頃、中井主水の屋敷は、新島襄が八重と暮らした新島邸の場所にあった。 「 人気blogランキング 」  に参加しました。よろしければ押してくださいませ。
幕末・明治時代(日本史)ランキング 絵は三吉慎蔵と坂本龍馬です 励みになりますので、できれば以下のバナーもどうぞ にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ
にほんブログ村