2018-01-01から1年間の記事一覧

九州1日目 佐賀

1年前の九州史跡めぐりを記録しておく。 10/20佐賀、10/21-22長崎、10/23-25鹿児島。 佐賀と鹿児島は今まで未踏の地だった。 10/20、先ずは日本の近代化の先駆けとなった佐賀から。 佐賀藩は、貿易の窓口の長崎警備を幕府から命じられ、福岡藩と隔年交代で…

彰義隊と雁鍋

最近は上野戦争当日の彰義隊の戦いに関心がある。 『史談会速記録』第74輯記載の明治31年の小野保の話によると、 膠着状態のこの戦争の流れを大きく変えたのは、滋野直臣という兵士の空腹だという。 腹を満たしに黒門口傍の雁鍋に入って二階に上がってみると…

文楽と 植村文楽軒

先日8月7日に、文楽を鑑賞する機会があり国立文楽劇場を訪ねた。 開演する前に、資料展示室の展示を拝見したが、ここには文楽の歴史や、太夫・三味線・人形の三業について、基本的内容をわかりやすく紹介している。 このとき、文楽の歴史の年表を見て、思…

小杉雅之進と三吉慎蔵、および前田常三郎

小杉雅之進は、幕臣で蒸気方手伝として咸臨丸で渡米している。 三吉慎蔵は、長府藩士だが、龍馬からの遺言で龍馬暗殺後、自宅でお龍を預かっている。 二人は住む世界が全く違うが、接点がある。 前田常三郎だ。 前田常三郎は、晩年「坂本龍馬大明神」と書い…

河島由路と三吉慎蔵、および輪王寺宮

河島由路は、幕臣で賄方、七拾俵五人扶持の小臣。彰義隊に参加した。 三吉慎蔵は、寺田屋にて龍馬と共に幕吏に襲われからくも脱出に成功する。 この二人の接点が、輪王寺宮。 河島由路は、屋敷は本郷湯島天神下仲坂下に所在し台所の床下に生簀があって常時生…

船越清蔵と小山六郎、および澤主水正宣嘉

船越清蔵は、長州清末の国学者であり、京・大津に住んで尊王家として活躍した。 小山六郎は、世を憂う但馬の豪農の一人として生野の変に参加し、破陣後長州へ遁れ長州の内戦などに参加する。 全く異なる二人だが、接点が一つだけある。 澤主水正宣嘉だ。 船…

ディアナ号の大砲 その3

以前、沈没したディアナ号の大砲がどうなったのか調べたことがあった。 奈木盛雄『駿河湾に沈んだディアナ号』(2005年)によれば、先行研究には以下のものがあり、内容も詳しく紹介している。 ①肥田喜左衛門 「下田帖43号」(平成10年) ②斉藤利生「露艦デ…

今日は、桃井直常の祥月命日

桃井氏は、下野の足利氏の枝族で、もともと上野群馬郡桃井(現在の群馬県榛東村)の出身。 桃井直常 (もものい ただつね)は越中守護として、室町幕府を二つに裂いた観応の擾乱と云われる足利尊氏と直義の戦いに登場する。観応の擾乱は歴史番組でも取り上げ…

ケガから1年経った

九死に一生を得てから丁度1年になる その半年前、旧東海道を歩いているときに、登りの坂道をスーと追い抜いて行く自転車を何台も見かけた。 自転車好きの僕は、こんなロードバイクはいいなと思っていたのだが、5月5日、甥の家に新築祝いに出かけたとき、…

鳥羽伏見の戦い 伏見編

先日4月14日(土)、鳥羽伏見の戦いから150周年を記念し、咸臨丸子孫の会のイベントで伏見地区の戦いの址を訪ねた。 巡ったコースは以下の通り。 明治天皇陵~乃木神社~薩摩軍大砲隊陣地~御香宮神社~魚三楼~伏見奉行所~月桂冠大倉記念館~会津軍陣地~土…

長井雅楽の詩歌と 龍馬

長井雅楽の辞世は、、詩一首と歌二首が残されている。 〇欲報君恩業未央 自羞四十五年狂 即今成佛非予意 願帥天魔輔国光 〇今更に何をか言(いは)ん代々を経し君の恩(めぐみ)にむくふ身なれハ 〇君がため捨(すつ)る命ハ惜からて 只思はるる国の行すゑ …

『久坂玄瑞史料』をよんで

文久2年8月8日(1862年9月1日)に、清末藩出身の攘夷運動家・船越清蔵が毒を盛られ58歳で亡くなる。 この清蔵を慕っていた中谷正亮が35歳で病死したのも同じ日。 こんな偶然もあるものだと思っていたのだが、改めて調べてみると正亮は実際は閏8月8日(1862年…

おもしろきかな人生は

古稀を迎え、個人的に楽しかったことはなんだろうかと大雑把に振り返ってみた。 1)小学校時代 ①小学校低学年のとき観た紙芝居。紙芝居屋の叔父さんが来るのが楽しみだった。内容は時代劇ものが多かったが、今でもあんずの水あめの味とともにその筋と絵をと…

維新の記憶 1876 大阪会議

3月6日の読売新聞の「維新の記憶」は、1875大阪会議 記事には、 維新を成し遂げた盟友たちは、征韓論などをめぐって対立を深めた。西郷隆盛、板垣退助、木戸孝允らは続々と政府を去り、内務卿に就いて権力を集中させた大久保利通に批判が高まる。明治8年(18…

維新の記憶 1868年 会津戦争

1月16日の読売新聞の「維新の記憶」は、-1868年 会津戦争 記事では、 慶応4年(1868年)5月、東北と北越の諸藩が奥羽越列藩同盟を結成した。旧幕府の代わり、新政府と対峙し得る勢力の誕生だった。だが、豊富な装備や戦略で上回る新政府軍を相手に、同盟側…

維新の記憶 1868年 蝦夷政府の降伏

1月23日の読売新聞の「維新の記憶」は、-1868年 蝦夷政府の降伏 見出しには、旧幕府軍 最後の戦い、とある。 旧幕府海軍副総裁・榎本武揚が、開陽丸を旗艦に8隻の艦船で品川沖を抜錨し、蝦夷地を目指して江戸湾を脱出したのは、慶応4年8月19日だっ…

竹田宮家と三吉慎蔵

平昌五輪で、2月17日にフィギュアスケート男子で羽生結弦が金メダル、宇野昌磨が銀メダル。 またスピードスケートでは、 2月20日に女子500メートルの小平奈緒選手、22日は女子団体追い抜きの高木美帆選手ら4人が金メダル。 いずれもメダルを首に…

維新の記憶 1873年 敦賀断髪令で大混乱

本日2月27日の読売新聞の「維新の記憶」 の見出しは、開化に抵抗 農民一揆 記事によると、 近代国家の建設を目指す明治政府は明治4年(1871)8月、髷を切ることなどを認めた「散髪脱刀令」(通称・断髪令)を発布した。しかし地方では、生活様式を一変させる…

維新の記憶 1869年 東京招魂社の創建

2月20日の「維新の記憶」は、-1869年 東京招魂社の創建- 見出しに大きく「長州の思想 新政府踏襲」とある。 そして記事では、簡潔に、靖国神社の源流が京都霊山の霊明神社であることを明示している。 ①京都霊山の霊明神社が、幕末に神葬祭を始めたこと …

維新の記憶 大村益次郎受難

2月13日の読売新聞の「維新の記憶」は、彰義隊がテーマかと思ったが、-大村益次郎受難- だった。 大村益次郎にもかかわるのだけれど、実は僕の先祖調査で分からないことがある。 三吉慎蔵の娘・友子の婿のことだ。 明治23年、慎蔵は北白川宮能久親王(彰…

維新の記憶 1868年 江戸無血開城

2月6日の読売新聞夕刊の「維新の記憶」は、1868年江戸無血開城 だった。 海舟と西郷とが江戸で行った2回めの会談場所は、僕には懐かしい場所でもある。 海舟と西郷は、記事の通り、3月13日薩摩藩高輪屋敷、14日薩摩藩蔵屋敷で会談している。 海舟日記に「十…

維新の記憶 1866年 寺田屋事件

2017年10月17日の読売新聞「維新の記憶」は、1866年の寺田屋事件を扱っている。 記事はおおむね正しいのだが、いくつか確定していないことや間違いも散見される。 ①「慶応2年(1866)1月23日の夜、伏見奉行所の捕り方約100人旅館「寺田屋」を取り囲んだ。」、…

2018年の予定

明けましておめでとうございます。 今年は退職し趣味の世界に入って9年目に入ります。 昨年は背骨を含め骨折9本のケガで、人生初めて入院生活を1か月余り送りました。 しかし無事に今年古稀を迎えることができ、3月で70歳になります。 早いようで遅いよう…