ケガから1年経った
九死に一生を得てから丁度1年になる
その半年前、旧東海道を歩いているときに、登りの坂道をスーと追い抜いて行く自転車を何台も見かけた。
自転車好きの僕は、こんなロードバイクはいいなと思っていたのだが、5月5日、甥の家に新築祝いに出かけたとき、同じような種類の自転車が置いてあったのだ。
新築のお祝い挨拶をしたあと、勝手に乗り心地を確かめに自転車を道に出して跨ってみたが、そこは坂の上。
ハンドルをなにげに坂下に向けたところ勝手に動き始め、急に加速し坂を下り始めた。
乗り回すつもりもなかったのでブレーキの位置を確認していなかったのだが、ブレーキが分からない。
あまりのスピードで加速していくので、坂下に交差点がありこのままでは大事になると判断し、坂の途中に見つけた左側の、狭い入口の公園に急カーブで滑り込んだ。スピードが出て急に曲がったのでバランスを崩し左背中から転倒してしまった。
転倒した時に、肋骨だと思うが、ボキボキではなく、ヌクヌクヌクと骨が1本1本折れていく音が聴こえた。
このとき、公園入口両脇の鉄棒に当たっていたらどうなっていたか分からない。
10分後に倒れて動けないのを見つけてもらい、救急車で佐野記念病院に運ばれる。
何枚もレントゲン検査をして、骨折が多く、内臓を痛めている可能性もあるため、私どもでは手の施しようがないとして、ちょっと離れたりんくう総合医療センターに回された。
りんくう総合医療センターは骨折が3カ所以上の大けがでないと受け入れない病院だが、僕の場合は9本以上の骨折が認められた。
詳細に診断の結果、骨折片による内臓損傷はなく、頭の打撲もなく、背骨は骨折しているが神経の損傷もなさそうだった。
打撃を受けたのは背中に限定されていて、骨折だけで済んだ。
正確なケガの内容は、骨折(胸椎、左鎖骨、肋骨左4本、肋骨右3本)。
その他、肋骨に突起が多数あり、全体にひびが認められるという。
骨折片が薄皮1枚のところで止まっていて、そこを破ると即死だったらしい。
悪運が強いというべきか。
まず背骨について、りんくう総合医療センターにたまたま2か月前に勤め始めたドクターが手術の執刀をすることになる。後で知るが、若いが国内では名医として名が知られている外科医だった。
もちろん手術はリスクゼロではない。
まず麻酔がなかなか効かず、通常より多く、麻酔薬を施した。
効かなかったのは、日常のアルコールの摂取量が多いためらしい。
また歳の割には背中の筋肉が多く、しかも硬い筋肉で、切るのに時間がかかった。
ま、とにかくも、背骨の手術は4時間近くかかったが、神経を傷つけることなく無事終わった。
5月9日に背骨、5月12日に左鎖骨の手術、肋骨7本の骨折は自然治癒に任すことになる。
5月15日から歩く練習を始めた。
神経に異常はなく歩けるので、5月16日からは目標を決め、勝手に歩いてリハビリをすることにした。
病院のフロアは通路がぐるっと三角形で一周250m。40周で10km。
そこで、午前10km、午後10kmを目標とした。
1週間後の5月23日には目標通り歩けるようになった。
スリッパだが、旧東海道を歩いたのと同じ時速5.5km。
ただ、病院からは、当病院始まって以来だと云われ、もう普通の人だからと、退院を迫られ、5月29日に退院したのだった。
それにしても、今回はさまざまな幸運が重なった。
公園入口の鉄棒に当たらなかったこと、
背中からうまく転倒できたこと、
頭を打撃していないこと、
骨折片が内臓に達しなかったこと、
神経が損傷していないこと、
麻酔を多く打ったが問題なかったこと、
脳や心臓に血栓が廻らなかったこと、
そして何よりも手術の上手な神の手の名医に当たったこと。
様々な要因で、生を得た。心配頂いた奥さんと皆さんにはとても感謝している。
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絵は三吉慎蔵と坂本龍馬です
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