2023-01-01から1ヶ月間の記事一覧

寺田屋遭難と初代伏見町長・江崎権兵衛

坂本龍馬を顕彰した江崎権兵衛は、伏見の事業家であり初代伏見町長を勤めた人物だが、その履歴を調べてみた。 弘化元年7月23日、先代江崎権兵衛の次男として、字家書に生まれる。幼名は源三郎。 初代は江州坂本在仰木村出身で、330年前に伏見両替町に来住し…

お龍の馳せ報知の姿は?

伏見寺田屋にて坂本龍馬と三吉慎蔵が幕府の捕吏に襲われたときに、お龍が危機を二人に知らせた。 画像は、2018/9/2放送 「西郷どん」より このときの風呂場からの馳せ報知のお龍の姿を直接知っているのは、お龍本人、一緒に風呂にいた殿井力子、目撃した龍馬…

龍馬が隠れた材木納屋

龍馬と三吉慎蔵が幕府の捕吏と寺田屋で戦い隙を見て逃走した途次、隠れた材木納屋がある。 ただし鳥羽伏見の戦いで焼失しているので、写真の材木納屋は当時のものではない。 この材木小屋について、伏見奉行所の報告には、 「村上町財木渡世 近江屋三郎兵衛…

寺田屋からの逃走ルート5 薩摩藩伏見屋敷

以前京博にて、「大政奉還150年記念 鳥羽伏見の戦い」展を拝見した。 僕にとっては重要な史料が多いが、目的は、 ①幕末の伏見の地図 ②薩摩藩伏見屋敷の平面絵図 の確認。 展示場に入るとすぐ後ろから、宮川禎一上席研究員が立命大の刀女子2名を案内してやっ…

寺田屋からの逃走ルート4

寺田屋事件での材木納屋から薩摩藩伏見屋敷までの逃走ルートを調べている。 動けない龍馬は材木納屋に隠れ、三吉慎蔵が単独で伏見屋敷を目指した。 ところで、慎蔵は伏見市中の地理に明るく、伏見屋敷の場所を正確に知っていたのだろうか。 伏見は、京と大坂…

寺田屋からの逃走ルート3

寺田屋の裏の車町の通りから、村上町の材木納屋までの逃走ルートを考えてみたい。 まず幕末時の地図を確認する。(但し地図は、京都府紀伊郡伏見役場が後に作成) 右端(東)に「御役屋敷」と表示して伏見奉行所がみえる。 過書町や村上町は材木商いが活発で、…

寺田屋からの逃走ルート2 材木納屋

龍馬と慎蔵が避難し隠れた材木納屋を確認したい。 二人が隠れたという材木納屋があった辺りの写真。左側に大手橋(昭和15年11月竣工)が見える。 東京大学史料編纂所所蔵の写真。左側にも納屋がみえる 龍馬は書簡に、 寺田屋の裏の住家を破ってから、「町に…

寺田屋からの逃走ルート1 寺田屋

坂本龍馬と三吉慎蔵が逃走した経路を調べている。 まずは出発点の寺田屋のその敷地について。 鳥羽伏見の戦いで焼失した寺田屋について、その敷地が実際に記録にあらわれるのは明治になってからなので、これから調べてみる。 江崎権兵衛が明治26年5月27日に…

龍馬暗殺時に遺された拳銃

当時でも入手可能な拳銃の種類は多いが、 龍馬が寺田屋で使用した拳銃は、弾を込める場面などから、スミス&ウェッソンの拳銃に絞られる。 幕末日本で入手できそうなS&W拳銃の各々の特徴と画像は以下の通り。 ①S&W モデル1、 1857年に開発 シングルア…

慶應2年1月23日は寺田屋遭難があった日

157年前の今日が、龍馬と三吉慎蔵の寺田屋遭難の日 時刻は旧暦の慶応2年正月23日八ツ時頃(午前2時頃)。 当時の1日は日の出から日の出までなので23日。今風には24日午前2時頃。 西暦では1866年3月10日。要は事件が起きたのは冬ではなく…

咸臨丸の航跡をたどる帆船海王丸の航海 その5

西海岸での到着場所は、幕府軍艦咸臨丸と同じサンフランシスコ湾です。湾に入るときは、ゴールデンゲートブリッジを帆船の正式な礼儀として登檣礼でくぐり、米国と米国市民に挨拶をしました。もちろん、橋は1937年の完成なので、咸臨丸の人々は見てはいませ…

咸臨丸の航跡をたどる帆船海王丸の航海 その4

海王丸に乗り航海中に一番やりたかったことはホワイト(マスト天辺の白く塗った部分)のタッチです。 30日間の航海の25日目に米西海岸に近い北太平洋上にて、ホワイトタッチが実現できました。高さは海上から50m、ほぼ垂直です。左手を離すと落下するが、無…

咸臨丸の航跡を辿る帆船海王丸の航海 その3

バウスプリット(斜めマスト)とヤード(帆桁)渡りの訓練 いずれも帆を展げたり、畳むためには必要になる作業です。

咸臨丸の航跡を辿る帆船海王丸の航海 その2

最初の登艢訓練 出航3日目でした。 初めは、ロワートップボード(マストの途中にある最初の踊り場)まで登ります。

咸臨丸の航跡を辿る帆船海王丸の航海

163年前、咸臨丸は、 安政7年1月13日午後に品川出航、神奈川港に至り投錨。 15日まで同所にて滞船し、 16日にブルック大尉を含め米海軍軍人11人が乗り組んで、神奈川港出帆し黄昏時に浦賀に投錨した。 17日は同所にて滞船、18日に水を汲みいれ、 19日午後に…

阪神淡路大震災の1/17に思う

28年前は奈良の榛原に住んでいた。 その15年ほど前に建てた2階建ての家の1階で寝ていた時に突然激しい揺れに襲われた。 とっさに隣に寝ていた嫁さんの上に覆いかぶさったのだが、このことは今でも嫁さんに感謝されている。

はじめまして

はじめまして 幕末散歩(masai03、寸心)と言います。10年ほど利用していたBIGLOBEのblogサービスが今月末に停止になるため、いろんなblogサービスに引っ越して確認しましたが、このHatenaBlogに参加することにしました。

長府藩士三吉慎蔵の妻

伊予70歳ころ 一昨日は、三吉慎蔵の妻伊予の祥月命日伊予は長府藩士・正村喜三郎の三女で、明治44年(1911)1月に没している。享年71才。慎蔵は小坂(おさか)土佐九郎の次男で、安政4年(1856)3月に三吉十蔵の養嗣子となる。その翌安政5年1月23日に、…

TV放送(ロマン?)と史実 その2

「坂本龍馬暗殺実況中継」の中の大政奉還について 放映では最初、聖徳記念絵画館の壁画の、邨田丹陵筆になる「大政奉還図」を掲示して、この絵図は勘違いだと指摘する場面がある。 曰く、「二条城の大広間で各藩重臣に大政奉還を表明した場面であるが、ここ…

TV放送(ロマン?)と史実

先日、「カメラを止めるな!」のTV放送を拝見したので。 その映画の中での監督役の俳優が「三吉慎蔵」役で登場している2019年正月放送の「坂本龍馬暗殺の実況中継」の録画をあらためて観てみた。

2023年の予定

明けましておめでとうございます。 昨年も遠出はしませんでしたが、良き出会いがあり多くの知人ができ喜んでいます。 今年もよろしくお願いいたします。 早いもので、今年は趣味の世界に入り14年目になります。