朝ドラ「らんまん」と大久保家

「らんまん」をいつも楽しく拝見している。先週は、東京大学助教授大窪昭三郎が自らの立場を明らかにし、今後の新しい展開が予想される場面があった。昭三郎のモデルの大久保三郎は、元東京府知事・大久保一翁の三男になるが、東京大学の助手になるにあたっ…

朝ドラ「らんまん」と第二回内国勧業博覧会

朝ドラ「らんまん」はもちろん史実通りではないがなかなか面白い。次回は、明治14年(1881)開催の第二回内国勧業博覧会に造り酒屋の当主として日本酒を出品するため上京するところが描かれるようだ。実際には、このとき19歳で、顕微鏡や書籍を購入するため…

大森房吉と関東大震災

大森房吉と関東大震災 英雄たちの選択 幻の地震予知 ~大森房吉と関東大震災~を拝見した。今年は大正12年(1923)9月1日11時58分に起きた関東大震災から100年。節目の年なので、今年は関東大震災からみの番組は多くなると思う。今回の「英雄たちの選択」は…

品川沖の榎本艦隊その2

ランキング参加中歴史 「榎本艦隊最後の雄姿」との題で写真が載っている「別冊歴史読本ビジュアル版」(昭和63年)を入手した。 この写真は、『幕末・明治の日本海軍』に掲載されている写真や、Wikipeia「榎本武揚」に掲載の写真の元になったもので、説明に…

品川沖の榎本艦隊

ランキング参加中歴史 『幕末・明治の日本海軍』に掲載されている写真がある。 榎本艦隊が沖合に停泊している様子を撮影したものとされる。 Wikipedia「榎本武揚」などにも、同じ写真が掲載されており、手前に浜辺らしきものまで写っているのでWikipediaの掲…

旧土地台帳からみる三吉慎蔵

ランキング参加中歴史 〇三吉慎蔵の生家・小坂家 下関市の長府城下町にある横枕小路の端に、代々、小坂家が住んできた。 幕末時は、長府藩剣術指南役・小坂土佐九郎(9代)が暮らし、慎蔵もここで土佐九郎の次男に生まれている。 当時の地図では真ん中縦に横…

今日は長府藩士・三吉慎蔵の祥月命日

三吉慎蔵は世紀の改まった明治34年(1901)に71歳で長府で永眠した。慶應2年(1865)正月の龍馬と生死を共にした寺田屋遭難から35年後になり、今年は没後122年目になる。 明治11年末の慎蔵 晩年の写真 慎蔵の晩年の日記は、字がミミズがのたくったかの…

『 雨窓紀聞 』と『 麥叢録 』との関係について

先日、ヤフーオークションに『雨窓紀聞 下』が出品されたのをfacebookの投稿で知った。 確認すると、商品説明は以下の通り、 [題名] 雨窓紀聞 下、[著者] 竹陰穏士(小杉雅之進) 咸臨丸蒸気方 江差奉行並、 [発行所・発行年] 北畠茂兵衛 明治6年、 [仕様] …

福澤諭吉と小杉雅之進の写真

開陽丸子孫の会による主催で横浜開港資料館を訪れたおり、資料館の協力を得て、寄託されている先祖の史料を拝見する機会に恵まれた。 その中の一つに、小杉雅之進の写真があった。 小杉雅之進の18才の写真で、長崎海軍伝習所で三期生として当時の先端技術…

美嘉保丸遭難の余波

幕臣で海軍士官だった山田昌邦について、facebookで話題になり、気になって調べてみると、僕が従来より伝聞で聞いたことは間違っていた事が判明したので、記録しておきたい。 小杉雅之進は、仙台藩士で鴉組隊長の細谷十太夫の三男・辰三を養子にする。 晩年…

永井路子さんを偲んで

永井荷風と、永井智子と永井路子(1925年3月31日-2023年1月27日)のお話 明治時代に長府毛利家の屋敷があった麻布市兵衛町に、時代は下って大正8年(1919)に永井荷風(本名永井壮吉)が偏奇館を新築し移り住む。 そして旺盛な創作活動のなかで、才能豊かな荷…

鳥羽伏見の戦いでの東軍戦死者の回向

2/4、妙教寺による鳥羽伏見の戦いでの東軍戦死者の回向に行ってきました。前回の参加が2020年なので3年ぶりになります。 千両松に行く前に淀駅近くの光明寺の埋骨地をお参り 先代のご住職の跡をついだご子息のご住職と二人で、激戦のあった千両松と愛宕茶屋…

妙教寺による東軍戦死者の回向

明日2/4は、淀・妙教寺にて慶應4年(1868)正月の鳥羽伏見の戦いで倒れた東軍将兵の慰霊祭がある。これまで御住職は何代も替わられたが、戊辰戦争後今日まで連綿と東軍戦死者の回向を続けてこられた。回向は、激戦が行われた宇治川(淀川)堤の千両松の八番楳…

寺田屋遭難と初代伏見町長・江崎権兵衛

坂本龍馬を顕彰した江崎権兵衛は、伏見の事業家であり初代伏見町長を勤めた人物だが、その履歴を調べてみた。 弘化元年7月23日、先代江崎権兵衛の次男として、字家書に生まれる。幼名は源三郎。 初代は江州坂本在仰木村出身で、330年前に伏見両替町に来住し…

お龍の馳せ報知の姿は?

伏見寺田屋にて坂本龍馬と三吉慎蔵が幕府の捕吏に襲われたときに、お龍が危機を二人に知らせた。 画像は、2018/9/2放送 「西郷どん」より このときの風呂場からの馳せ報知のお龍の姿を直接知っているのは、お龍本人、一緒に風呂にいた殿井力子、目撃した龍馬…

龍馬が隠れた材木納屋

龍馬と三吉慎蔵が幕府の捕吏と寺田屋で戦い隙を見て逃走した途次、隠れた材木納屋がある。 ただし鳥羽伏見の戦いで焼失しているので、写真の材木納屋は当時のものではない。 この材木小屋について、伏見奉行所の報告には、 「村上町財木渡世 近江屋三郎兵衛…

寺田屋からの逃走ルート5 薩摩藩伏見屋敷

以前京博にて、「大政奉還150年記念 鳥羽伏見の戦い」展を拝見した。 僕にとっては重要な史料が多いが、目的は、 ①幕末の伏見の地図 ②薩摩藩伏見屋敷の平面絵図 の確認。 展示場に入るとすぐ後ろから、宮川禎一上席研究員が立命大の刀女子2名を案内してやっ…

寺田屋からの逃走ルート4

寺田屋事件での材木納屋から薩摩藩伏見屋敷までの逃走ルートを調べている。 動けない龍馬は材木納屋に隠れ、三吉慎蔵が単独で伏見屋敷を目指した。 ところで、慎蔵は伏見市中の地理に明るく、伏見屋敷の場所を正確に知っていたのだろうか。 伏見は、京と大坂…

寺田屋からの逃走ルート3

寺田屋の裏の車町の通りから、村上町の材木納屋までの逃走ルートを考えてみたい。 まず幕末時の地図を確認する。(但し地図は、京都府紀伊郡伏見役場が後に作成) 右端(東)に「御役屋敷」と表示して伏見奉行所がみえる。 過書町や村上町は材木商いが活発で、…

寺田屋からの逃走ルート2 材木納屋

龍馬と慎蔵が避難し隠れた材木納屋を確認したい。 二人が隠れたという材木納屋があった辺りの写真。左側に大手橋(昭和15年11月竣工)が見える。 東京大学史料編纂所所蔵の写真。左側にも納屋がみえる 龍馬は書簡に、 寺田屋の裏の住家を破ってから、「町に…

寺田屋からの逃走ルート1 寺田屋

坂本龍馬と三吉慎蔵が逃走した経路を調べている。 まずは出発点の寺田屋のその敷地について。 鳥羽伏見の戦いで焼失した寺田屋について、その敷地が実際に記録にあらわれるのは明治になってからなので、これから調べてみる。 江崎権兵衛が明治26年5月27日に…

龍馬暗殺時に遺された拳銃

当時でも入手可能な拳銃の種類は多いが、 龍馬が寺田屋で使用した拳銃は、弾を込める場面などから、スミス&ウェッソンの拳銃に絞られる。 幕末日本で入手できそうなS&W拳銃の各々の特徴と画像は以下の通り。 ①S&W モデル1、 1857年に開発 シングルア…

慶應2年1月23日は寺田屋遭難があった日

157年前の今日が、龍馬と三吉慎蔵の寺田屋遭難の日 時刻は旧暦の慶応2年正月23日八ツ時頃(午前2時頃)。 当時の1日は日の出から日の出までなので23日。今風には24日午前2時頃。 西暦では1866年3月10日。要は事件が起きたのは冬ではなく…

咸臨丸の航跡をたどる帆船海王丸の航海 その5

西海岸での到着場所は、幕府軍艦咸臨丸と同じサンフランシスコ湾です。湾に入るときは、ゴールデンゲートブリッジを帆船の正式な礼儀として登檣礼でくぐり、米国と米国市民に挨拶をしました。もちろん、橋は1937年の完成なので、咸臨丸の人々は見てはいませ…

咸臨丸の航跡をたどる帆船海王丸の航海 その4

海王丸に乗り航海中に一番やりたかったことはホワイト(マスト天辺の白く塗った部分)のタッチです。 30日間の航海の25日目に米西海岸に近い北太平洋上にて、ホワイトタッチが実現できました。高さは海上から50m、ほぼ垂直です。左手を離すと落下するが、無…

咸臨丸の航跡を辿る帆船海王丸の航海 その3

バウスプリット(斜めマスト)とヤード(帆桁)渡りの訓練 いずれも帆を展げたり、畳むためには必要になる作業です。

咸臨丸の航跡を辿る帆船海王丸の航海 その2

最初の登艢訓練 出航3日目でした。 初めは、ロワートップボード(マストの途中にある最初の踊り場)まで登ります。

咸臨丸の航跡を辿る帆船海王丸の航海

163年前、咸臨丸は、 安政7年1月13日午後に品川出航、神奈川港に至り投錨。 15日まで同所にて滞船し、 16日にブルック大尉を含め米海軍軍人11人が乗り組んで、神奈川港出帆し黄昏時に浦賀に投錨した。 17日は同所にて滞船、18日に水を汲みいれ、 19日午後に…

阪神淡路大震災の1/17に思う

28年前は奈良の榛原に住んでいた。 その15年ほど前に建てた2階建ての家の1階で寝ていた時に突然激しい揺れに襲われた。 とっさに隣に寝ていた嫁さんの上に覆いかぶさったのだが、このことは今でも嫁さんに感謝されている。

はじめまして

はじめまして 幕末散歩(masai03、寸心)と言います。10年ほど利用していたBIGLOBEのblogサービスが今月末に停止になるため、いろんなblogサービスに引っ越して確認しましたが、このHatenaBlogに参加することにしました。