福澤諭吉と小杉雅之進の写真

開陽丸子孫の会による主催で横浜開港資料館を訪れたおり、資料館の協力を得て、寄託されている先祖の史料を拝見する機会に恵まれた。 その中の一つに、小杉雅之進の写真があった。 小杉雅之進の18才の写真で、長崎海軍伝習所で三期生として当時の先端技術である蒸気機関について学んだあと、蒸気方見習士官として咸臨丸で渡米しサンフランシスコに滞在した時に撮影したもの。

この写真については、複写した画像を過去2回見ている。 最初は、2009年に北海道江差の開陽丸記念館にて、館内に掲げられていた画像(但し写真枠はなく、人物部分のみ)で、渡米時の写真を見た最初になる。

          開陽丸記念館の画像

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2回目は、2013年1月の霊山顕彰会発行の「維新の道」148号の「明治を創った人々」の紙面に「小杉雅之進」を寄稿した時に、横浜開港資料館から所有者の了解を得て取り寄せた、写真枠を含めた写真全体の複写。

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この時初めて枠を含めた写真を見て、当時の米国の写真技術に興味をそそられた。 そして今回初めて実物を目の当たりに見る機会が訪れたという次第。 この写真は、有名な「福沢諭吉写真屋の少女の肖像写真」と同じ写真館で写されている。

          福沢諭吉写真屋の少女の肖像写真

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紙の写真枠は全く同じなので、確認できなかったが、紙枠の左隅に、「Wm.SHEW/113 MONTG’Y,St/SAN FRANCISCO」の文字があると思う。William Shew写真館での撮影を表している。

写真は、ダゲレオタイプから、何枚でも作成できるネガ・ポジ紙焼き方式への転換期に、一時流行したアンブロタイプのもので、諭吉の写真も雅之進の写真も、裏に黒ニスを塗って白黒反転させている。 2009年に「未来をひらく福沢諭吉展」が開催されたが、その時の図録に、「福沢諭吉写真 写真館の少女と共に」の項で、諭吉の写真が掲載されている。

 平成20年に修復のため、写真板だけを取り外したときの画像 「未来をひらく福沢諭吉展」図録より

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その説明では、少女の頬と福沢の唇に彩色がなされているとあるが、『福沢諭吉写真屋の娘』の中で中崎昌雄氏は、諭吉の額、頬、眉の下にも桃色の彩色があると指摘している。 少女Theodora Aliceの拡大写真 頬は彩色されているのが分る

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彩色は雅之進の写真も同じで、桃色が施されているのが分る。 雅之進の拡大写真 少なくとも、頬は彩色されている

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なお、福翁自伝によれば、諭吉は、咸臨丸が日本に向けハワイを出帆したあとで、初めて写真を取り出し船中の人に見せ、羨ましがらせた。この少女は写真館主人の娘で歳は15位らしい。 諭吉は一人で写真屋にでかけたが、雅之進はいつ誰とどのように行ったか、一人だったのかは伝わっていない。 ましてや、その時写真館に自分に近い年頃のこの少女Theodora Aliceが居たのか否か、そして話をしたのかはもちろん分らない。 しかしこの二つの写真を見比べていると、想像を逞しくさせてはくれる。

 

 

 

 

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