11/6、横浜開港資料館にて、寄託されている先祖に関する資料を観る機会があった。
そのなかで、ある写真が目を引いた。
説明書きには、小杉雅之進と妻・由、そして方也(二番目の養子)の三人、とある。
撮影時期は、明治28年生まれの方也が12歳くらいの少年なので、明治40年前後の撮影と想定できる。
僕が関心を持ったのは、わが家にある写真との比較だった。
13名が写っている小杉家と河島家の集合写真があり、中には名前の分らない人物が写っているのだが、資料館の写真により人物特定ができるのではないかと思ったからである。
13名のうち、小杉雅之進の妻・由は比定できたので、従って明確なのは以下の6名になった。
①後ろの右から4人目
小杉直吉( 天保7年(1836)~明治36年(1903)、68歳 )
幕臣、長崎奉行支配調役並出役、維新後は大審院判事。静岡時代の慶喜の謡の師匠。
②後ろの右から3人目
小杉雅之進( 天保14年(1843)~明治42年(1909)、67歳 )
幕臣、長崎海軍伝習所3期生、咸臨丸の蒸気方、開陽丸の軍艦役、蝦夷共和国江差奉行並。
③後ろの右端
小杉辰三 (慶應4年(1868)~昭和8年(1933)、66歳、雅之進の最初の養子)
仙台藩士・鴉組隊長の細谷十太夫の三男、海軍に入り、のち神戸製鋼所創設に関わる。
④真ん中の右端
辰三妻光子 (? ~明治42年(1909) )
「逃げる旗本」の主人公・幕臣山田昌邦の長女
⑤真ん中右から2人目
雅之進妻 由 ( 嘉永元年(1848)~昭和10年(1935)、88歳)
⑥真ん中の右から3人目
河島鋹(とし)( 天保5年(1834)~明治37年(1904)、71歳、小杉直吉、雅之進の姉)
夫河島由路は幕臣で、16才の長男の由之と彰義隊に参加し、上野黒門にて被弾、戦死。
上記6名の中で、一番早く亡くなるのは明治36年の小杉直吉なので、写真の年恰好からみて、撮影時期はその少し前と考えてよいようである。
上記以外の人物で、写真に写っている可能性があるのは、
小杉家では、
直吉妻 峰
直吉長男 直
直吉次男 吉也 (明治16年(1883)~?)生年は、学習院にて同期の榎本春之助、志賀直哉から想定、)
直吉三男 方也 (明治28(1895)~昭和30年(1955)、61歳)
河島家では、
鋹の長男 由之 (嘉永6年(1853)~明治44(1911)、59歳)
由之長男 精一 ( 明治20年(1887)~昭和42年(1967)、81歳)
河島鋹の次男 由親 (安政2年(1855)~明治40(1907)、53歳)
由親長男 真 (明治32年(1899) ~ ?
などが思い浮かぶ。
まず、中央手前の三人の子供に注目してみる。
中央の少年は14~16歳ぐらいであろうか、学習院の服を着ているようである。
とすれば、吉也と想定してもよい。
仮に15歳とすれば、明治30年(1897)の撮影となるので、この時外の人物の年齢は、
小杉直吉 62歳
小杉雅之進 55歳
雅之進妻 由 50歳
小杉辰三 30歳
辰三妻光子 想定30歳弱
河島鋹 64歳
そして
直吉妻 峰 年齢不明
直吉長男 直 年齢不明
直吉次男 吉也 15歳
直吉三男 方也 2歳
河島鋹の長男 由之 45歳
由之長男 精一 11歳
河島鋹の次男 由親 43歳
由親長男 真 まだ生まれていない。
このことから、
真ん中の少年は吉也とすると、前にいる2歳くらいの子供2人のいずれかが方也となる。もう一人は誰だかわから
ない。
また、写真では夫婦夫々はやや前後に位置していることから、直吉の左前は 峰と考えられる。
ところで、直吉の長男直は、家督を相続せずに他に婿入りしているので妻を連れてきていないのか、またはまだ婿入り前と考えると、後ろの右から2人目は、直ではないかと推定できる。
そして残りの後ろの左端の人物は、鋹の長男 由之で、写真が焼け焦げている部分に、妻の常がいたのではないかと考えている。
ただ、以上は推定であり、まだ確定ではない。
なお、集合写真の写真師と写真館は、写真の裏から、東京本郷弓町二丁目の中黒實と知れるが、
古写真研究家の森重 和雄氏によると、
中黒實は丸木利陽門下で、明治30年頃に本郷4丁目から本郷弓町二丁目に移転しているとのことなので、
写真の撮影時期と、従って人物の年齢の想定は、ほぼ間違いないと考えてよさそうだ。
追記:2019年4月に、あることがきっかけで、ある程度の人物判定ができた。
https://bakumatusanpo.seesaa.net/article/201904article_2.html
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