維新の記憶 1873年 敦賀断髪令で大混乱

本日2月27日の読売新聞の「維新の記憶」 の見出しは、開化に抵抗 農民一揆
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記事によると、 近代国家の建設を目指す明治政府は明治4年(1871)8月、髷を切ることなどを認めた「散髪脱刀令」(通称・断髪令)を発布した。しかし地方では、生活様式を一変させる文明開化に流れに抗う意識が強く、民衆の一揆が起こった。混乱の中で、人々の髪型は変わっていった。 と、ある。 これを読んで、思い出すのは、福井にも近い但馬の小山六郎のこと。 戊辰の役が起こり、のち版籍奉還廃藩置県と大変革が推し進められるが維新なお日が浅く、明治政府は多事多難で威令は辺境に及ばない。 民衆の不平不満は相当なものがあった。 眼を病んでいた小山六郎は、こうした時勢のもと最後の奉公をしたいと望み、政府と兵庫県庁へ、時勢を慨嘆しその改正を願う二通の上申書を提出する。そして願意の貫徹を期して屠腹する。 断髪令のあった明治4年12月24日、37歳であった。
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小山六郎については、簡潔にその履歴を記しているのは、 六郎が著した「但馬義挙実記」の中に、年来の盟友であり生野の義挙の参謀を務めた木曽源太郎(旭健)が補注した以下の文章がある。
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「小山六郎は義士なり。為人剛直にして面好て書を読む。憂国の志篤くして但馬義挙に加わる。 其后長州へ入り、奇兵隊招賢閣に居し、数度の長州内乱に苦戦す。 盲人となり維新后但馬に復籍し賞典し秩禄等給る。年勤王の故を以て国士の称号を給はりしか尚素志を失わず、地方官へ建白の書を呈して自尽しけるとそ。 他日建白の趣旨を尋べし嗚呼報国尽忠の志有りと謂うべき人なり」 また、但馬の菩提寺の楽音寺に、小山六郎百回忌を記念して建立された「勤王の志士 従五位小山喜昌事績」碑がある。
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「小山喜昌 始め六左衛門と称し後に六郎と改めた・・・。  文久三年大和天誅組の決起した時これと相呼応し同志と謀って三位澤公を迎え本郡生野に尊王救国の旗を翻したが 同志の策調はず幕軍の来攻農兵の反逆を招き敗戦の惨苦を満喫して僅に身を以て遁れた  その後長州に走り高杉晋作の軍に投じ大いに尽力したが遂に眼を患うて身を退くの外なく然も其の後程なく王政維新となって宿願の成就を喜んだが庶政未だ民を安んずるに足らぬを見ては又衆に代って書を官に致し屠腹して願意の貫徹を期した 時に明治四年十二月二十四日春秋三十有七歳であった その志節は万世に仰ぐに足り衆人は深く哀悼した ・・・・・・」 生野の義挙が破陣したあと、 六郎の墓の撰文には、「君乃チ姓名を変ジ走ッテ京摂ノ間ニ逃ル」と脱走後の六郎を語っている。 慶応元年5月、幕府が第二次長州征伐を起こした頃、三人の義兄弟であった原六郎や北垣晋太郎(国道)とともに海を渡り讃岐に行く。 つまり文久3年の10月から慶応元年の4月から5月頃まで、京都摂津や江戸に身をひそめていたことになる。 原や北垣の伝記によれば、原・北垣は、破陣後、鳥取経由で京・江戸に潜入し因州屋敷で保護を受け、千葉重太郎や龍馬とも会っている。 このことから、おそらく小山六郎も、破陣後、二人と行動を共にして京都・江戸因州屋敷に身を隠していたと考えられる。従って、千葉重太郎や龍馬とも会っている可能性もある。 但しこれは残念ながら確認できる史料は今はない。 慶応元年には原・北垣に六郎も同行し、長州への途次、讃岐にて偶然に高杉晋作に会う。 この高杉の添え書きを以て原六郎は遊撃隊に、小山六郎は奇兵隊に入る。小山六郎は三田尻で七卿が潜んでいた招賢閣の護衛に当たったらしい。 もちろんこの時は五卿はすでに大宰府にいる。 奇兵隊は、隊士の出入りが多く、時と場所により隊士人数に変化がある。まだ「山口県史 資料編幕末六 別冊」の諸隊の名簿は自分の目で確認していないが、奇兵隊名簿は慶応元年2月改のピンポイントのものしか残っていないらしい。 慶応元年2月であれば、そこには小山六郎の名はない。 また、慶応元年春以後の名簿があったとしても、変名した姓名が伝わっていないため、今のところ確認ができない。 一方、武田芳太郎 「但馬志士伝」には「六郎遊撃隊に加わる」とあり、また「生野義挙」を収めている「維新日乗纂輯二」の例言には「長門ニ赴キ遊撃隊ニ入ル」とあるので、所属した隊は奇兵隊ではなく、原六郎と同じ遊撃隊なのかもしれない。 いずれにしろ、第二次長州征伐の際は、父方の先祖・小山六郎と報国隊にいる母方の先祖・三吉慎蔵とが、小倉口の戦いでは戦友だった可能性もでてくる。 六郎は明治4年自裁するが、のちの供養祭の折、次の様な歌詞がうたわれたという。    ここに祭る 君がみ魂  乱は砕けて 香は匂う  骨は枯ちても名をぞ止む  光絶せぬ その光り 「 人気blogランキング 」  に参加しました。よろしければ押してくださいませ。
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