長井雅楽の詩歌と 龍馬
長井雅楽の辞世は、、詩一首と歌二首が残されている。
〇欲報君恩業未央 自羞四十五年狂 即今成佛非予意 願帥天魔輔国光
〇今更に何をか言(いは)ん代々を経し君の恩(めぐみ)にむくふ身なれハ
〇君がため捨(すつ)る命ハ惜からて 只思はるる国の行すゑ
wikiでは、
〇君恩に報いんとして業いまだ央ならず 自羞す四十五年の狂 即今成仏は予が意に非らず 願わくは天魔を帥いて国光を輔けん
〇今さらに何をか言わむ代々を経し君の恵みにむくふ身なれば
〇君がため身を捨つる命は惜しからで ただ思はるる国のゆくすえ
あきらかに、歌の二首目の「身を」は余分。
誰か直してくれないかしら.。(と思って記事を投稿したら、早速訂正していただきました)
ところで、詩については、異なるものも伝わっている。
官武通紀では、
巻四(文久二年)長州始末の項の最後に、長井雅楽が 文久三年二月六日に屠腹申し付けられた時の詩歌として、
〇欲報君恩業未央、自愧四十五年狂、即今成仏非吾志、願作天魔輔国光
君恩に報ぜんと欲して業未だ央(なか)ば 自ら愧ず四十五年の狂 即今成仏は吾が志に非ず 願わくは天魔と作(な)りて 国光を輔(たす)けん
とあり、「自愧」、「吾志」、「作天魔」が異なっている。
「業未央」については、それぞれ読みは違っても同じ意味ですが、4月発売のNHKテキスト『漢詩をよむ』では、初唐の七言絶句「春日」の解説に、
「未央」は、「未だ央(つ)きず」あるいは「未だ央(なか)ばならず」と読むことができ、漢代の宮殿「未央宮」の名にも使われた。唐王朝の繁栄は、まだこれからという吉祥の意味を込めている、とある。
ただ、漢詩をよくした長井雅楽の「業未央」からは、死を前にして吉祥の意味は見えてこない。
ところで、歌の二首目、
〇君がため捨る命ハ惜からて 只思はるる国の行すゑ
は、実は僕が以前より注目している一首で、
由利公正伝(大正5年)に、坂本龍馬が福井出張の折、文久三年(1863)五月十六日に三岡八郎居宅で声調妙に謡ったとして、
〇君が為捨つる命は惜しまねど 心にかかる国の行末
との記述がある。
僕は龍馬が声調妙に謡ったのは、龍馬の思想に影響を与えた航海遠略策の長井の死を悼み、伝え聞いた辞世の句を口ずさんだと愚考している。
幕末の詩歌を詠むことで、思想的な繋がり、時間的な要素、関心事などなど、様々な志士たちの影響がみつけられるのではないか、と考えている。
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