古稀を迎え、個人的に楽しかったことはなんだろうかと大雑把に振り返ってみた。
1)小学校時代
①小学校低学年のとき観た紙芝居。紙芝居屋の叔父さんが来るのが楽しみだった。内容は時代劇ものが多かったが、今でもあんずの水あめの味とともにその筋と絵をときどき思い出す。
②小学校中学年、竹と針金で弓、小田急線のオルゴールカーに線路で轢かせた釘でつくった矢じり、木の電信柱の的。当時の田舎の遊びはこんなんだったな。
③小学校6年の2学期と3学期。出席したのは3日間だけ。
通学経路の新宿で途中下車し歌舞伎町へ。毎日3本立ての映画を観ていた。これは今でいういわゆる不登校なのかしら。
今と違い当時の歌舞伎町は映画館街で、大人の後に続いて入れば入場料は不要だった。いい時代だった。家庭も自由放任主義だったからよかったな。
2)中学校・高校
①実はこの頃の記憶があいまい。中学時代は不良、高校時代は優等生と思うのだが。
②趣味は当時はやっていた切手のコレクションだったので、海外の同趣味のpen palと文通して良く集めていた。
現地語で文通する必要から、中学時代に独語、仏語を独学した。
3)大学
①哲学にのめり込んだ。特にドイツ哲学と論理学。論理学は古典論理学から記号論理学まで3年間も学んだ。
哲学の原書を読むため、ギリシャ語、ラテン語、中国語を学ぶ。美人教師の2年間のギリシヤ語教室が今でも懐かしい。
②この頃の趣味は、北方民族、中近東の歴史。とくに旧約の世界を発掘資料で確認するのが楽しかった。
③下宿先が校門の隣だったので、右から左まで実に色んな友達ができた。僕が不在でも知らない者同志が勝手に集まっていた。
④卒論は、西田幾多郎と三木清を選んだ。専門外なので指導教師が理解できたかは疑問なんだけど、、、。
4)就職
なかなかその通りにはできなかったが、基本は遊びながら仕事をこなすこと
①関東と山口の中間の関西に就職した。先祖に幕臣と長府藩士がいたのを知っていたので、何となくその中間点を選んだのだった。結果的に京都にも近く良かったと思っているが、ただ歴史探索を始めるのは、当時は関心がなく、定年真近になってから。
②仕事は、自ら望んで当時流行りだしていたコンピュータ関係にした。
これまで学んだ言語と論理学は、コンピュータの基本言語であるアセンブラ言語のマクロを作成するのには大いに役に立った。マクロはプログラミングをより簡便にするひとつの道具。システム設計・プログラミングは創作活動なので結構楽しい。
またシステム開発対象は全社に渡る業務なので企業全体の業務がよくわかる部署で働いていたことになり、結果的に30年ほどの付き合いになった。
③仕事の関係での海外出張は、(a)世界一周(米、カナダ、英、独、スイス、仏)、(b)独、英、(c)英、米、(d)中国2回、(e)韓国3回など殆ど自分で企画立案して出かけた。いい時代だった。
③最後の10年弱は経営企画を預かりこれも全体を見渡せる仕事なので、まあ、それなりに会社生活も面白かったな。
5)無職
①退職して1週間後に、太平洋の真ん中でもう一度自分を見直したいと思い、咸臨丸の航跡を辿るイベントに便乗し帆船海王丸にて1か月間の北太平洋を渡る航海をした。
②翌年、帆船の面白さにやみつきになり、帆船あこがれで四国一週、10日間の船旅をした。人力で動かす帆船は面白い。
③咸臨丸子孫の会や開陽丸子孫の会など、幕末関係の会にいくつか入会し、その一環で、咸臨丸や開陽丸を建造したオランダを訪ねた。海外での幕末関係の史跡巡りなかなかできないことなので楽しんできた。
④一昨年は、京都三条大橋から日本橋まで19日間毎日30キロ前後、先人たちが歩いた旧東海道を歩いてみた。
これが今もウォーキングを続けるきっかけになっている。
⑤今は、先祖調査、幕末維新の研究など趣味の世界に浸りきっている、自由を謳歌しているといって良いのだろう。
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絵は三吉慎蔵と坂本龍馬です
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