函館・木古内・江差・松前の旅その3 (松前)

9/22 開陽丸の子孫の会の皆さんと、江差松前木古内~函館までをバスで旅する。 江差町のご好意により町がバスを提供され、休日なのでボランティアで運転された。 咸臨丸子孫の会小林会長、小杉さんとは、ここ江差で別れる。10月に逗子でまたお目にかかる予定。 江差・函館の親戚の方々とも、再会を期してお別れする。 ガイドは開陽丸の友の会会長の石橋さん。開陽丸の復元に力を尽くされた功労者の方だ。 以下は幕府脱走軍の侵攻図。
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松前の途中に地名で大滝がある。松前城を攻略した土方軍が江差を目指す途中にある難所で、山から海岸まで突き出た山裾が通りを阻んでいる。 松前藩は氏家丹宮を隊長に百人に満たない守備隊を布陣させていた。 土方軍額兵隊長、星恂太郎は背後の谷を越えて山を登り、眼下の松前軍を銃撃し、潰走させる。
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松前福山城津軽海峡の入り口にあり、北の守りとしては、三層で意外と小さな城だ。。
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案内文によると、 寛永14(1637)年城中より出火、16年に修復した際、表御殿は京都伏見城の一部が移されたとある。 やはり、淀川で大坂まで運び、北前船に積み替え運んで来たに違いない。 その表御殿の玄関は小学校正門玄関として昭和57年まで使われていたというから驚きだ。
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     明治元年11月5日松前城下に進出した土方軍は、東方500メートルの法華寺に陣地を構え、城内の砲台をつるべ撃ちにし沈黙させた。 城方は搦手門で、砲火を浴びせては門を閉めまた開けて打つ戦術を取ったが、土方軍は門の側に兵をしのばせ開門と同時に射撃して城中に突撃した。 法華寺のある東方から松前城と城下を望む。 
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右は搦手門から正面に法華寺を望む。
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松前藩兵は、同日夕方、町屋、寺社に火を放ち江差に向け後退した。 「 人気blogランキング 」  に参加しました。よろしければ押してくださいませ。
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