「文楽座」命名150年法要

昨日3/1、大阪の夕陽丘の円成院にて初代植村文楽軒、四代植村文楽軒(文楽翁)など代々の植村文楽軒の法要が執り行われ参列させていただいた。01.JPG03.JPG05.JPG 文楽協会、人形浄瑠璃文楽座、国立文楽劇場の立派な花が供えられ、 中央には右から、植村家先祖代々之霊位、初代文楽軒釋楽道、釋尼妙教(初代妻)、四代目文楽翁釋眞教の各位牌が置かれている。 10.JPG これから人間国宝 吉田和生さんにより人形焼香をしていただくところ12.JPG 献奏 太夫の竹本錣太夫さんと三味線の鶴澤燕三さんによる「日本歌竹取物語」竹取翁閑居の段14.JPG 初代植村文楽軒夫妻の墓20.JPG

墓石の裏には、重要なことが書いてある22.JPG

雨天の場合は墓所にての法要は中止とのことだったが、ありがたいことに小雨を押して執り行われた。 写真は見にくいが、人形がお参りの場面24.JPG

こちらは、4代植村文楽軒、文楽翁と呼ばれる28.JPG

植村文楽軒は、人形浄瑠璃の代名詞として「文楽」が使われるようになった人物の名なのだが、 僕が法要に参加したのには説明が要る。

初代植村文楽軒は、本名が正井嘉兵衛(与兵衛とも)で、出身が淡路島の仮屋。 僕と同じ本籍地なのだ。 今年は、「文楽座」命名してから150年で、そのため文楽座にて記念誌が発刊される。 それで、文楽座では命名のもとになった植村文楽軒について初代と代々の後継者とその周辺を調査をしていて、僕のblog「幕末散歩」の「文楽と 植村文楽軒」がヒットしてしまったらしい。

実は僕は文楽を初めて拝見したのが、2018年8月7日。 このとき国立文楽劇場の1階の資料展示室を見学したのだが、文楽の歴史の年表を見て驚いてしまった。 初代植村文楽軒の本名を「正井」と別記してある。 植村文楽軒の名は知ってはいたがまさか本名があって正井とは思いもしなかったのだ。 僕の頭の中で、淡路の人形浄瑠璃と淡路の正井家が結びついた瞬間だった。 文楽座を開業し、人形浄瑠璃の代名詞にもなっている「文楽」を残したのは、正井一族の誰れなのか、早速調査を始めた。

6日間、文楽座の図書室に通い、また転々と所を変えた芝居小屋のあった場所を訪ね史跡巡りをし、情報を集めた。 そして、 7日目の8月14日に、blog「幕末散歩」に「文楽と 植村文楽軒」との題で、初代から6代にわたる植村文楽軒について纏めてみた。 この1週間はまことに濃密な日々だった。 https://bakumatusanpo.seesaa.net/article/201808article_1.html

このblogが、2週間ほど前に記念誌を企画している文楽座の方の目に留まったのだった。 blogを書くにあたり参考にさせていただいた天野光さんが共通の知人であったことから、早速連絡があり、この時に「文楽座」命名150年の法要の開催をもご案内いただき、植村文楽軒の縁者として参加してきたというわけ。 この法要について、毎日放送では、夕方のニュースに取り上げていた。30.JPG 人形焼香の場面、僕は左端に映ってしまった。32.JPG34.JPG 前列左から2番目に、縁者として参列。 焼香は、高名な三業(人形、太夫、三味線)の方の次にさせていただいた。36.JPG 献奏 4代目植村文楽軒(文楽翁)作「日本歌竹取物語」竹取翁閑居の段より38.JPG40.JPG 初代植村文楽軒のお墓に、人形もお参りいただきました。42.JPG 法要には文楽座のベテランから若手まで多くの方が参列されていた。 どこにどんなご縁があるのか、世の中は全く面白いと感じ入った次第。 お招きいただいた文楽座の皆さまにはとても感謝いたしております。 また、文楽命名150年を記念しての、4月文楽公演の成功をお祈りしております。52.JPG

 

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