先祖調査

三吉慎蔵談話の要

ある調査をするのだけれど、この書を取っ掛かりに進めたいと思う。 中には何か所か、慎蔵の記憶違いか聞き手の聞き間違いかの箇所があるが、それも面白い。 三吉慎蔵時治氏談話ノ要 八月十三日豊浦毛利邸ヲ訪ヒ三重盛二氏ニ面談翌十四日ニ於テ林洋三氏ト會合…

彰義隊慰霊祭

今日は5月15日。 5・15事件の日だが、僕にとっては上野戦争の日。 以前、この日にあるお寺を訪ね、そのあと、お世話になった礼状を出させていただいた。 ――――――――――――――――― 先日午後、お参りをさせて頂いた者で正井と申します。その節は柵内にも入れさ…

ブックカバーチャレンジ 7日目

僕が影響を受けた本を中心に紹介いたします。 最後は、帆船海王丸での遠洋航海と、東海道19日間連続歩破の、各々の教材と案内書です。 紹介は1冊らしいのですが、海と陸それぞれ僕には同じ大冒険で参考にした書なので、両方を同時に紹介したいと思います。 …

三吉慎蔵の孫・梅子

今日は河島(旧姓三吉)梅子の祥月命日 昭和56年(1981)に86歳で亡くなっている。 『三吉慎蔵日記』の明治27年5月1日の条に、下関長府にて「トモ、女子出生」とある。 山口長府の江下で生まれている。 慎蔵の娘・トモは三吉家を分家し、乃木希典の幼馴染の桂…

本能寺の「能」の字

大河ドラマ「麒麟がくる」第5回目放映で、早くも本能寺が登場した。 明智光秀の生年は不明なので今回のドラマの年代はややあやふやだが、舞台は天文17年秋(1548)としている。 本能寺は、 1415年に先祖になる桃井播磨守直常の曾孫・日隆が「本応寺」を創建し…

史書を訪ねて 続日本紀

今日の史書を訪ねては、「続日本紀」 古代国家が正史として編纂した六つの史書「六国史」のなかで、「日本書紀」に次ぐ2番目の史書。 藤原仲麻呂の発議で編纂され始めたが、記事ではこの「藤原仲麻呂の乱」について書いている。 僕の関心事は、なかでも巻第…

史書を訪ねて 日本誌

1年ほど前の「史書を訪ねて」は、ケンペルの『日本誌』だった。 記事は、『日本誌』の中身の紹介とともに、影響を受けたカントの『永久平和のために』や、幕末では熟読して来航したペリーにまで話が及んでいる。 ただ、この史書の成立については触れられてい…

史書を訪ねて 武市瑞山關係文書

昨日の読売の夕刊「史書を訪ねて」は、武市瑞山關係文書だった。 紙面の解説に、剣術修業に江戸に出向いたことが書かれているが、どこの道場かまでは記述がない。 武市が安政3年(1856)に土佐から岡田以蔵らを伴って江戸に出たときは、斎藤弥九郎の練兵館…

史書を訪ねて 復古記

先週の「史書を訪ねて」で、取り上げられていたのは『復古記』 『復古記』は慶應3年(1867)の大政奉還から戊辰戦争最後の箱館戦争終結までを扱う。各家の家記の抜粋などから同じ出来事を多角的に記述してはいる。 僕にとって興味深いのは、東叡山戦記と蝦夷…

史書を訪ねて 大内義隆記

昨年12月には、読売新聞夕刊の「史書を訪ねて」の記事にて、『大内義隆記』を取り上げていた。 なかなかに珍しい書物の紹介だと思う。 また年末には、新日本風土記で、西の京とも呼ばれる山口を取り上げていた。大内氏の故郷だ。 2年前の再放送だが、画面に…

ホテルニューグランド

先日1/4にTVで「新 美の巨人たち」を拝見した。 横浜の老舗ホテル「ホテルニューグランド本館」が取り上げられている。 ホテルニューグランドは、大正末期の本館の建設、昭和~平成のホテル経営、新館のタワー建設の各々の段階で各先祖縁者が関わったこと…

「京都ぶらり歴史探訪」寺田屋事件

BS朝日の「京都ぶらり歴史探訪」を拝見した。 一昨日1/7の放送は「歴史は冬に作られた!」で、様々な事件を取り上げていた。全体的には史実に基づいた内容が大半なのだが、寺田屋事件については疑問符がつく。 ま、主題は龍馬とお龍で、お龍が龍馬の命の恩…

小杉家資料の記憶と記録 その3

小杉家には刀剣が何本かあるが、そのうちの2本を紹介したい。 一つは、備州長船祐定、大永四年八月日と刻む。 来歴は今となっては残念ながら分からない。 18歳の小杉雅之進が咸臨丸で渡米した際に、持参した刀と思いたい。 渡米時の小杉雅之進 https://userd…

小杉家資料の記憶と記録 その2

昨年、小杉辰三が創設に関わった神戸製鋼所の操業時の資料を、神戸製鋼所ヘ譲渡した。 神戸製鋼所は先の大戦時の空襲により史料は灰燼に帰しているので、今後あらたな社史を編纂するときに役に立つはずだ。 小杉辰三は慶応4年戊辰に、仙台藩烏組隊長・細谷…

小杉家資料の記憶と記録 その1

昨年、東京製綱所の創業時代の史料を、東京製綱所に譲渡した。 該社からは、当社にもない貴重なもの、と感謝される。 小杉家の資料を整理していて、ある図面と定款を見つけた。 図面には東京製綱株式会社小倉分工場と判があり、定款には「浅野小倉製鋼所定款…

『仮名手本忠臣蔵』

先日、春夏秋の3回に分けて通しで演じられた『仮名手本忠臣蔵』十一段全段を鑑賞し終えた。 全段で10時間は越えている。庶民の喝さいを浴びた、これだけの作品をよくぞ江戸時代に作ったものだと感心した。 この『仮名手本忠臣蔵』は、僕にはとても意義あるも…

山国隊の復活

昨日は、京都にて山国地域と山国隊の歴史についての展示を拝見し、講演会を拝聴してきました。 昨年は明治150年の節目の年で、戊辰戦争で活躍した山国隊が再び日の目を見た年でした。 明治28年(1895)に、平安遷都千百年記念祭の開催にあたり、実質的な実行責…

本能寺の絵図面

11月に、日米修好通商条約の勅許奉請に関する史跡めぐりがある。 昨日はその下調べのため京都寺町の本能寺を訪ねた。 本能寺は、使節の正使・老中首座堀田正睦の宿舎であり、また朝廷との交渉の場だった。 とりあえず僕が知りたいのは、 交渉が行われた安政…

幕臣の小杉直吉・雅之進兄弟の生き方

今月8月は、21日が小杉雅之進、24日が小杉直吉の祥月命日。 小杉家は、南北朝時代の越中守護、桃井播磨守直常を始祖とする。 絵には「ももい なをつね」とあるが、正しくは「もものい ただつね」 直常の6代あとの桃井三郎四郎直宣の嫡子に、桃井尚芳(なお…

船越清蔵の知名度

幕末の船越清蔵を調べているのだが、 なかなか書かれたものが少なく、評伝としての堀哲三郎『船越清蔵先生』が良本といえるのだろう。 この本には、三吉慎蔵との関係は特には記述がないのが残念だが、 小坂土佐九朗の二男として三吉家に養子に入った慎蔵は、…

オランダ通詞の人々

2年前に開陽丸子孫の会による長崎歴史探訪の際に、講演会が開催された。 講師は『通訳たちの幕末維新』の著者・木村直樹氏。講演の中で、オランダ通詞については今村家と楢林家についても言及され、大変興味深く拝聴した。 長崎では、いつもオランダ通詞を調…

久坂玄瑞と船越清蔵

久坂玄瑞の備忘雑録は5冊が伝わっている。 その1冊は「筆廼末仁満爾」(文久壬戊十月上浣日)とある。 その中の或るページに「船翁墓碑之事。」とメモ書きが記されている。 これは、文久2年10月上旬からの覚書に記した短いメモだが、松陰始め一門が舩翁と尊称…

三吉慎蔵の鹿児島訪問

三吉慎蔵が、鹿児島を訪れたときに宿泊した場所を調べている。 慎蔵は、明治20年(1887年)12月6日に鹿児島にて薨去された島津久光公の国葬に参列する。北白川宮能久親王の奥方は久光公の養女でもあり、家令として宮の名代を務めた。 12月7日に横浜を出港、…

生野挙兵での小山六郎の役割

今月発行の『歴史人』6月号は「幕末の事件史」の特集号で、その一つとして生野の変を扱っている。 全体の記述は、時系列が逆であったり、事実と異なる記述が目につく。 参考に「生野の変 主な決起メンバー」のリストが掲載されているが、澤宣一・望月茂共著…

文楽への道

文楽の名のもとになった植村文楽軒(本名:正井嘉兵衛)が経営した最初の芝居小屋と、二番目の小屋の跡を訪ねた。 文楽軒は、寛政(1789-1800)の頃、大坂に出て高津橋南詰西の浜側に浄瑠璃稽古場を開く。 この高津橋は、江戸中期、西高津新地の開発に伴って…

彰義隊墓前法要からの雑感

今日5月15日、彰義隊の墓前法要が行われた。 (上の写真2葉は昨年の撮影) この日は例年、上野に出かけているのだが、今回は残念ながら関西で用があり出席が叶わない。 この10年間で、一昨年のケガでの不参加を含め2回欠席したことになる。 僕が墓前法要…

三吉慎蔵のルーツは半島にあり?

平成13年(2001)、明仁上皇は68歳の誕生日記者会見において、翌年の日韓共催ワールドカップの開催にあたり関心事を聞かれ、天皇家は百済国と血縁関係があると発言をされた。 桓武天皇 「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されてい…

西村捨三をご存知ですか

僕が西村捨三に興味を持ったのは、「贈右大臣大久保公哀悼碑」の建立と京都時代祭がきっかけだった。 西村は、暗殺された大久保利通のため、遭難5年後から遭難の地に「贈右大臣大久保公哀悼碑」を建立せんと尽力し、明治21年(1888)5月に完成させる。 大久保…

令和時代の行動計画

新元号の年にあたり、残りの人生の行動計画を夢想してみた。 1)執筆、2)先祖調査、3)健康、4)酒食、5)歩き、6)旅行、7)文化、8)経済など10の各分野ごとに、具体的な目標と実施項目とスケジュールなどを描いてみた。 たとえば、1)執筆、2)先祖調査…

幸若大夫の肖像画

拝見したい肖像画がある 15世紀後期の宮廷絵師を代表する土佐将監光信筆と伝わる、桃井直詮(もものい ただあきら)を描いた紙本著色桃井直詮像。 この肖像画は東京国立博物館所蔵で、1988年6月6日に重要文化財に指定された。 熟達した迫真的容貌描写が特徴…