小杉家資料の記憶と記録 その2

昨年、小杉辰三が創設に関わった神戸製鋼所の操業時の資料を、神戸製鋼所ヘ譲渡した。 神戸製鋼所先の大戦時の空襲により史料は灰燼に帰しているので、今後あらたな社史を編纂するときに役に立つはずだ。 小杉辰三は慶応4年戊辰に、仙台藩烏組隊長・細谷十太夫の三男に生まれた。            細谷十太夫800px-Hosoya_Naohide.jpg 戊辰戦争のおり、榎本艦隊が仙台に滞在しているときに、細谷十太夫と開陽丸機関長の小杉雅之進とが知己になり、箱館戦争終了後、雅之進の養子になった経緯がある。 小杉辰三は、海軍兵学校15期を席次2番で卒業し、製鋼所創設に関わる直前は海軍造兵少佐(海軍省技監)として呉工廠にて製鋼事業に携わっていたが、民間の製鋼所創設に当たり海軍を退官している。IMG_9883.JPG 実は、神戸製鋼所の前身としては、「小林製鋼所」がある。 この小林製鋼所は操業して1ヶ月で鈴木商店に譲渡され、神戸製鋼所に生まれ変わる。そのわけは神戸製鋼所の社史 「百年史」に記載がある。 「百年史」の「1 神戸製鋼所の創業」の最初に「小林製鋼所の創業と失敗」として、 「東京で書籍業を営む小林清一郎は、知人の呉海軍工廠に勤務する海軍省技監の小杉辰三に勧められ、製鋼事業への進出を決意した。・・・・イギリスから技術者を招き、小林や小杉たちも1年間留学して製鋼業を学ぶ力の入れようで、(明治38年)9月1日の開所式も遠方から来賓を招き『小林製鋼所』として颯爽とデビューするはずであった。ところが、出鋼の合図とともにシーメンス炉から流れ出た溶鋼は、取鍋の半ばを満たしたところで固まり、湯道も黒くなって完全にストップしてしまった。取鍋の溶鋼すら回収できない状況となり、一転、目も当てられない完全な失敗となった。その後も全く操業できない状況が続き、小林は1ヵ月も経たずに開業間もないこの工場の身売りを決意する。」とある。 そして、鈴木商店が資本参加し、「神戸製鋼所」と看板を換えて再スタートする。辰三も初代技師長として引き続き勤務した。 小杉辰三の残した資料には、イギリス留学時の英製鋼所の記念鉄片、失敗した小林製鋼所のスラブなどのほかに、譲渡契約書、神戸製鋼所創設時の資産一覧表などがある。 今回は、神戸製鋼所に、資産譲渡契約書と、その資産一覧表を譲り渡した。 資産譲渡の神戸裁判所の記録には、鈴木商店の有名な女社長よねの名前も見える。IMG_9913.JPGIMG_9915.JPGIMG_9916.JPG また資産一覧表によって神戸製鋼所創設時の規模が判明する。IMG_9905.JPGIMG_9906.JPGIMG_9907.JPGIMG_9909.JPGIMG_9910.JPGIMG_9911.JPGIMG_9912.JPG 神戸製鋼所は空襲にも遭い、貴重な史料は灰燼に帰しているだけに、まさに創業時の史料はお宝のはずだ。 のちの小杉辰三02.JPG 「 人気blogランキング 」  に参加しました。よろしければ押してくださいませ。
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