小杉家には刀剣が何本かあるが、そのうちの2本を紹介したい。
一つは、備州長船祐定、大永四年八月日と刻む。
来歴は今となっては残念ながら分からない。
18歳の小杉雅之進が咸臨丸で渡米した際に、持参した刀と思いたい。
渡米時の小杉雅之進 https://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/005/646/54/n000/000/000/157607235388234579385.jpg"
一つは、脇差で、藤原国包。
こちらの来歴は、細谷十太夫の求めに応じて仙台住藤原国包が作るとあることから、持ち主は自明で、
3男辰三が小杉雅之進の養子に入るときに持たせたものと分かる。
細谷十太夫
細谷家は仙台藩士の家系で、十太夫は元服すると京都藩邸詰めとなる。しかし、芝居見物の最中に、伊達家のお家騒動を描いた演目の内容に腹を立て、乱闘騒ぎを起こす。このことが原因で、仙台へ戻される。
また、戊辰戦争の時には烏組組隊長であった細谷十太夫は、海防の先覚者・林子平を慕っていた。その子平の墓所のある龍雲寺が荒れているのを復興しようとしたができなかった。
龍雲寺に葬られた亡父の悲願を叶えるため、小杉辰三は大正2年に名を伏せて2万円を寄付する。この資金で龍雲寺は大正8年4月に本堂を完成させる。
晩年の小杉辰三
細谷十太夫も3男の辰三も、この脇差を所持し、ともに仙台に生まれでともに郷土愛が強い人物だった。
従って、両刀は故郷の仙台市博物館が保管するのが最適と思い何度か連絡をしたのだが、「戊辰戦争150年」の展示準備と重なり、呼吸が合わなかった。
そこで、残念なことではあるが時間もなく、他の刀剣も含め、親戚の近在の横浜歴史博物館に譲渡することにした。
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