昨年12月には、読売新聞夕刊の「史書を訪ねて」の記事にて、『大内義隆記』を取り上げていた。
なかなかに珍しい書物の紹介だと思う。
また年末には、新日本風土記で、西の京とも呼ばれる山口を取り上げていた。大内氏の故郷だ。
2年前の再放送だが、画面に釘付けになってみていた。
僕にとっては山口というと、毛利氏以上に大内氏により親しみがある。
長府毛利家に仕えた小坂家、正村家、三吉家なども身近には感じるのだが、三吉慎蔵の実母・かつ子の出た津原家の源が、大内氏なのだ。
大内氏は、半島との貿易を有利にするためと思うが、百済の聖王(聖明王)の第3王子である琳聖太子の後裔と称している。
津原家と大内氏との関係は、
琳聖太子の末裔、大内二代長門守正恒の三男・正興が二万七千石を分地され、長門国豊浦郡神田村津原の稲積山に居城した。
後に地名をとり、大内から津原に名を変える。そして何代か後に、津原善勝が出ている。
現在の下関市王司の稲積山善勝寺の案内文によると、
善勝寺の開基は俗名津原主計頭善勝といい、津原山城主で二万七千石を領す、とある。
ただ合戦に敗れ嫡子を失い厭世の感深く、蓮如上人の弟子となる。
そして道西と名乗り居館を寺とし、自分の名をとり善勝寺と名付けたのだった。
津原かつ子は、江戸の末期に善勝寺の三女に生まれ、長府藩士・小坂土佐九朗に嫁ぎ、慎蔵の母となる。
ところで、続日本紀には、桓武天皇の生母は武寧王の子孫と記されている。琳聖太子はその武寧王の孫にあたる。天皇家と大内家とは縁があることになり、面白い話だが今は確かめようがない。
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絵は三吉慎蔵と坂本龍馬です
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