先日1/4にTVで「新 美の巨人たち」を拝見した。
横浜の老舗ホテル「ホテルニューグランド本館」が取り上げられている。
ホテルニューグランドは、大正末期の本館の建設、昭和~平成のホテル経営、新館のタワー建設の各々の段階で各先祖縁者が関わったことがあり、とても親近感があるホテルなのだ。
このホテルが建ったのには理由がある。
外国人居留地のあった横浜は、大正12年(1924)に関東大震災で壊滅した。横浜の有力者たちは、同じ港町の神戸に実業が流れるのを防ぐため、復興のシンボルとして外国人専用ホテルの建設を決め、大正15年(1926)7月に、幕末に開設されたフランス海軍病院跡を敷地として「株式会社ホテルニューグランド」を設立する。
そして急ピッチで建築し、昭和2年(1927)には竣工をみる。外観は客船の船首を思わせる曲面が特徴的なデザインの5階建ての耐震性のある鉄骨鉄筋コンクリート造りで、シンプルな造形のなかに重厚感のあるアール・デコ様式を採用していた。設計者は、のちに「銀座和光」「東京国立博物館」を手掛けた建築家・渡辺仁。
ホテルの中には、不死鳥のように甦るという願いを込めて「フェニックスルーム」と名付けられた部屋が造られ、また横浜開港の端緒を記念した「ペリー来航の間」などが設えられている。
ホールから2階へと続く階段は、喜劇王チャップリンやベーブ・ルース、新婚旅行で宿泊したマッカーサーなどなど多くの著名人が上っている。
さらに、天女が舞う京都・川島織物の綴織、灯籠型の照明、弁財天のレリーフといった東洋風の装飾で彩られ、また6mのマホガニーの柱を使うなど和洋折衷の美しい空間が広がっている。歴史といい、その優美さからも日本を代表するクラシックホテルといっていいのだろう。
ホテル建設に当たった横浜の有力者の中心には、三渓園で名高い原富太郎(三渓)がいる。
原家は、三渓の跡は次男の原良三郎が継ぐが、良三郎の妻は会津松平家の松平健雄の次女会津子。健雄の妻が小杉すえで、小杉すえは僕の高祖母の姪になる。
原良三郎の長女昭子の婿が原家の跡を継いだ原範行で、1983年にホテルニューグランドの社長に就任し、2003年に会長になる。範行は横浜を代表するクラシックホテルの顔として、1991年に新館のニューグランドタワー建設を手掛けている。
このタワー建設に当たっては、会津子の兄・松平勇雄から原範行へ、ある人物の紹介状が残っている。
原範行は、長くホテルニューグランドの経営に当たったが、惜しいことに2018年4月23日に名誉会長として亡くなっている。
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