ある集合写真の人物特定

僕の母方の河島家に、左端が焼けた一葉の写真がある。10.JPG 太平洋戦争のあと、河島家が類焼で火事になったときに焼け場から出てきた数葉の写真のひとつだ。何かの記念の集合写真と思われ、僕には顔が分からない先祖が写っているはずなので、資料をもとに人物の特定をしていた。ただ焼けた部分の人物は想像するしかなかった。 それが重要な史料の登場で、人名が判明する。
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小杉家第二世直方の五十年忌法要が、明治33年(1900)12月13日に、東京宗柏寺で行われた。この五十年忌を記した史料が小杉家にあり、その時の小杉家・河島家の記念写真と判明したのだった。 しかも同じ集合写真が小杉家にもあるのがのちに判明した。12.jpg 左端の不明の人物は、会津藩松平容保の次男・松平健雄夫妻だった。妻の杪子は小杉家当主・直吉の三女。14.JPG 小杉直方はペリー来航前の嘉永4年11月21日に亡くなっている。 小杉家の家系図では南北朝時代の武将・桃井直常を遠祖とし、その桃井直常から6代目・金澤藩士の尚芳が小杉家初代とされる。 ただ、五十年忌の史料では、のちに江戸に移住した吉診を初代とみているようだ。 16.JPG18 (1).JPG

五十年忌法要は、小杉家の史料によれば、喪主は小杉直吉、同副は小杉雅三(雅之進)がつとめ、主な参加者は以下の28人。 1)直方の子ども 〇小杉直吉(64歳)、妻庫子(56歳)  〇小杉雅三(57歳)、妻芳子(由子、52歳) 〇河島鋹子(年子、66歳) 僕の高祖母になる 2)直吉と雅三の子ども 〇小杉  直(32歳) 長男だが家を継がずのち相原姓 〇小杉吉也(21歳) 大正天皇の御学友、このとき東大法科生 〇小杉方也(5歳)  のちに小杉雅三家を継ぐ 〇小杉辰三(32歳)、妻光子(25歳) 3)直吉の娘一家 〇社本健次朗、妻仲子(26歳) 社本は歯科医 〇楢林文吾、妻茂子(24歳)  楢林は銀行家、先祖は長崎オランダ通詞 〇松平健雄、妻杪子(20歳)  健雄は松平容保の次男 〇島村菊子(15歳) 〇小杉秀子(12歳) 〇小杉徳子(9歳) 4)河島鋹子の子一家 〇河島由之、妻常子  曽祖父、彰義隊に参加  〇河島由親、妻柳子  由之の弟 〇早川藤太郎、妻幸子 早川家は医者の家系 〇山崎 勇、妻駒子   山崎は教育家、娘は夏目漱石甥に嫁ぐ 5)本家 〇小杉直珍      第一世吉診の兄直応の末裔

 

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