彰義隊墓前法要からの雑感

今日5月15日、彰義隊の墓前法要が行われた。
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     (上の写真2葉は昨年の撮影)   この日は例年、上野に出かけているのだが、今回は残念ながら関西で用があり出席が叶わない。 この10年間で、一昨年のケガでの不参加を含め2回欠席したことになる。 僕が墓前法要に参加するのはもちろん訳がある。 幕臣の高祖父・河島由路は彰義隊に参加し、慶應4年5月15日上野戦争の勃発に際し、長男由之16歳と家臣二人と共に黒門口を守った。     彰義隊に参加し戦死した河島由路
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黒門口での白兵戦を描いているがこのような情景はなかったとの説もある
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ただ残念ながら、時刻は伝わっていないが、湯島方面からの銃弾にて胸から背中に貫通銃創を負ってしまう。 夜陰に紛れて密かに、黒門口近くの、湯島天神の仲坂下にあった屋敷に由之と家臣二人とで運ばれ、手当を尽くしたるもその甲斐なくその夜息を引き取る。 由之と家臣二人は無事だった。     黒門と、河島屋敷(左下)の位置関係
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    当時の新聞
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そんなわけで、僕はいつも墓前では、戦死した高祖父・由路を供養し、そして僕が今いるのは曾祖父・由之が生還したおかげなので、同時に曾祖父に感謝の念も表してきたのだった。 河島家は賄方で、湯島天神仲坂下の屋敷の台所の床下に生け簀があって常に生魚が遊泳していたという。湯島天神の下には柳の井などの名水があり、地下水が豊富だったので生け簀には適していた場所だったのだと思われる。 河島一家は16歳の由之が家統を継ぎ、上野戦争後はただちに屋敷を引き払うが、賄方によくある余禄の蓄えで生活には困らなかったらしい。 そして、立ち退いた屋敷の一角に、隣の同朋町から直ぐに魚屋が移ってくる。これがのちの「魚鐡、魚て津」で、「魚て津 今昔由来」にその後の経緯が書いてある。 正面左から右へ4軒目までが河島屋敷、2軒目の3階建てが魚屋の場所
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生け簀がある屋敷は魚屋には最適の場所だったに違いない。この魚屋が、河島家に出入りの者だったのか、それは今となっては分からない。 なお、この「魚て津 今昔由来」は、寿司屋に替った仲坂下の「魚て津」に飾ってあったが、のちに暖簾分けした谷中の寿司屋「魚て津」に譲られたものの、2017年に谷中が閉店してから行方が分からない。     階段下左に谷中の「魚て津」
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ところで、河島由路の妻・鋹(とし)は幕臣の小杉家から入嫁した。 小杉家も賄方で、どうもその賄方の縁で小杉鋹は河島由路に嫁いだのでないかと思われる。 鋹の弟には、小杉直吉と小杉雅之進がいる。 この三人兄弟の父、小杉直方は早くに亡くなり直吉が若くして家統を継いでいる。     晩年の小杉直吉
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直吉は、長崎海軍伝習所が計画された時、長崎奉行支配調役並出役であった。長崎に赴くたびに時代の先端を行く海軍伝習所に魅力を感じ、将来を案じていた年の離れた15歳の弟雅之進を入所させようと決心する。 入所には、幕府内での役職の肩書が必要のため、御賄御酒世話役の職を得るのだが、この職を得るのに尽力したのが同じ賄方の河島由路であったとは容易に想像できる。 そして、小杉雅之進は伝習所三期生となり当時最新の科学技術である蒸気機関を学ぶ。 のちに咸臨丸にて渡米時は蒸気方見習い、開陽丸乗船時は蒸気役一等(今の機関長)、蝦夷共和国では江差奉行並に選ばれている。      咸臨丸で渡米時の小杉雅之進
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直吉は、維新時は日光奉行支配調役並出役で終わり、徳川慶喜に従って静岡に移住する。 のち明治政府に出仕し大審院判事を経て、また静岡に戻ってくる。ここで晩年は慶喜の謡・能の師匠として過ごす。 ところで、直吉の三女・杪(すえ)は、旧会津藩松平容保の二男健雄に嫁いでいる。 これは、健雄が久能山東照宮宮司として赴任したのがちょうど直吉が慶喜の相手をしている頃なので、慶喜の仲介で婚儀が成ったように思われる。       松平健雄夫妻
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また不思議なことに、鳥羽伏見の戦いで敗れ、慶喜が江戸へ帰還するとき乗船した開陽丸の機関長は小杉雅之進であったので、慶喜は雅之進とも顔見知りであったようだ。     オランダで建造され試験航海中の開陽丸
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明治・大正期になってからも、河島家と小杉家はその後も親密な交流が伝わっている。 たとえば、小杉直吉一家が静岡に移住したあとも、二男の吉也は東京にいた。学習院に入学し大正天皇の御学友だったが、本郷の河島由之の家から通学していた。 また、小杉直方五十年祭など、重要なイベントの時は両家の親族が集まったことが残された資料でも判明している。 ただ時代を経て代替わりが進むと、だんだん両家は疎遠になっていき、 お互いの先祖調査などがきっかけで両家の交流が復活したのは、まだここ10年ほどのことなのだ。 最後の写真は、2014年、東軍慰霊祭で静岡の蓮永寺の小杉直吉のお墓に集まった直吉の兄弟姉妹の末裔たち。 左から、姉・鋹(とし)、直吉(なおよし)、弟・雅之進の各々の末裔。
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