三吉慎蔵の鹿児島訪問

三吉慎蔵が、鹿児島を訪れたときに宿泊した場所を調べている。 慎蔵は、明治20年(1887年)12月6日に鹿児島にて薨去された島津久光公の国葬に参列する。北白川宮能久親王の奥方は久光公の養女でもあり、家令として宮の名代を務めた。
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12月7日に横浜を出港、翌日神戸に寄港したのち、10日に神戸を出港し12日に山川港に入り着港する。 この時出迎えとして渡辺千秋知事始め島津殿(珍彦か忠済)が船まで来て、案内にて山下多八郎方へ止宿する。 この宿泊場所が三吉慎蔵日記では鹿児島郡築町33番地。 今年10月に上田の米熊慎蔵龍馬会が歴史探訪で鹿児島を訪れるため、慎蔵が滞在中に廻った辺りも訪ねるのだが、この宿泊場所が明確ではなかった。 それで旧住所の築町33番地をもとに、現在地を調べていたのだった。
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鹿児島県立図書館のお手も煩わして、資料をいくつか調べていただいたのだが、それでも明確には分からない。 明治42年の『鹿児島県案内』では、築町に高等旅館が一軒あり、その名を山城屋という。主人は姓が同じ「山下」直太郎。
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この場所は、『鹿児島市内遊覧案内』では「朝日通電車交差点より一丁」。
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『番地入 鹿児島市案内図』によると、住所は築町8番地の辺りになる。
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従って、山下氏経営の高等旅館・山城屋が明治20年の頃には33番地にあったが、明治40年の頃には移転しているとも考えられる。 この山城屋旅館の場所は、現在の鹿児島県産業会館の辺りになる。 ただ、いずれにしろ33番地ではない。 慎蔵は、久光公の娘婿の北白川宮の名代でもあり、渡辺知事が出迎えるほどであるので、一般の旅館での宿泊というよりも、当地の名士の山下多八郎の家に宿泊したと考えたほうがが良いのかもしれない。 そこで、『番地入 鹿児島市案内図』により築町33地の現在の辺りを調べてみた。 そこは現在では鹿児島市名山町12番地であり、九州電力名山変電所の北隣の公園の辺りになることがわかる。
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