大河ドラマ「麒麟がくる」第5回目放映で、早くも本能寺が登場した。
明智光秀の生年は不明なので今回のドラマの年代はややあやふやだが、舞台は天文17年秋(1548)としている。
本能寺は、
1415年に先祖になる桃井播磨守直常の曾孫・日隆が「本応寺」を創建したことに始まる。
1418年に妙本寺宗徒により破却され、1429年に山本宗句の援助にて「本応寺」を移転・再建する(第2の再建)。
1433年に如意王丸により四条坊門の北に土地の寄進を受け、「本能寺」に改号・移転する(第3の再建)。
この日隆の第3代目の「本能寺」は、後年1536年に延暦寺の僧兵集団による「天文法乱」で焼失しているので、ドラマの本能寺は、1545年に日承(第12代貫首)が再建し1582年に「本能寺の変」で焼失する第4代目の本能寺になるのだろう。
ドラマでは、本能寺の門には「本〇寺」と掲げられていた。この文字は史実と一致する。
(注:〇は「能」の文字の右側の部分が「去」字。以下同じ)
第4代目の本能寺は、北を六角小路、東を西洞院大路、南を四条坊門小路(現在の蛸薬師通)、西を油小路に囲まれた場所にあった。
2007年から3回に分けて、この中京区西洞院通六角下ルの本能寺跡の発掘調査が行われ、「本能寺の変」で焼けたとみられる大量の瓦、寺の堀跡、石垣などが見つかった。
その瓦の中に、現在の本能寺で使われる「能」の文字の右側の部分が「去」字を記した丸瓦があり、本能寺の瓦であることが確認された。
「本能寺の変」の後は、1591年に豊臣秀吉の命で現在の寺域(中京区下本能寺前町)へと移転させられた(第5の再建)。伽藍の落成は1592年で、現在の本能寺の北側の御池通と京都市役所を含む広大な敷地であった。
1788年の天明の大火で焼失するが、1840年に日恩上人によって再建する(第6の再建)。
しかし、1864年の禁門の変(蛤御門の変)によって発生したどんどん焼けにより堂宇を焼失した。
焼失の原因については、長州藩邸に隣接していたため、長州藩邸の火が延焼したとも考えられているが、それ以前に薩摩藩の砲撃により長州藩邸よりも先に焼け落ちたという説もある。
現在の本堂は昭和3年(1928)に建てられた(第7の再建)。
ところで、本能寺のサイトによれば、
(本能寺は1415年から1432年までは「本応寺」と寺名を使い、1433年から現在まで「本能寺」を使用している。
その理由は「本門八品相応能弘之寺」の言葉より本応寺・本能寺という寺名にした。また現在能という字を〇 に替えて使用しているが、これは五度も火災に遭遇したので匕(火)を嫌い〇の字に替えたものである。
上杉本の「洛中洛外図屏風」では「本能寺」と書かれている。)
とある。
しかし、「本能寺の変」の時点の瓦に〇の銘をもっていることから、五度も火災に遭遇したので匕(火)を嫌い〇の字に替えたものであるとの現在の本能寺の説明には無理がある。
ところで、デイリーポータルによると、
『五體字類』という書籍の中に、この字が載っている。
五體字類の「六」の文字によく似ているが、「六」とは、六朝諸碑といい、中国の南北朝時代、4世紀から5世紀ぐらいにかけての石碑にある文字らしい。
また、同じくデイリーポータルによると、
柏書房の『異体字解読字典』には、能のバリエーションが多く載っている。
ちなみに、『解説 字体辞典』江守賢治、三省堂 1986年によれば、この〇は本能寺のために作字されたわけではなく、当時は現在の「能」よりも広く使われていた字体であり、「能」が一般に用いられるようになったのは康煕字典が広まった明治時代以後のこと、との説もあるらしい。
参考1:デイリーポータル https://dailyportalz.jp/kiji/170920200704
参考2:本能寺跡地の近くにある「本〇寺跡」碑 (1994年、本能寺による建立)
なお、この碑の建立の後に、2007年に軒丸瓦が出土している。
本〇寺跡記
応永二十二年(一四一五)御開山日隆聖人は、本門八品の正義を
弘通せんがため、油小路高辻と五条坊門の間に一寺を建立して
「本応寺」と号されたが、後に破却されたので、永享元年(一四二九)
小袖屋宗句の外護により町端に再建、次いで永享五年(一四三三)
如意王丸の発願により、六角大宮に広大な寺地を得て移転再建、
本門八品能弘の大霊場として「本能寺」と改称された。その後、
天文五年(一五三六)天文法乱によって焼失。天文十四年(一五四五)
第八世伏見宮日承王上人によって旧地より四条西洞院の此の地に
移転、壮大な堂宇の再興を見た。然るに天正十年(一五八二)
彼の「本能寺の変」によって織田信長とともに炎上、天正十七年
(一五八九)この地に再建せんとし、上棟式の当日、豊臣秀吉より
鴨川村(現在の寺町御池)の地に移転を命ぜらる。一山の大衆声を
放って号涙すと。因みに本能寺は度々火災に罹りたるをもって
「ヒヒ」と重なるを忌み、能の字を特に「〇」と書くのが慣しである。
大本山 本〇寺
平成六年四月建之
宗祖日蓮大聖人開宗七百五十年記念
大本山本寺第百三十六世日攝代
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