毛利家書状 原本初確認

貴重な史料が発見された。03.jpg04.jpg 戦国時代、中国地方を治めていた毛利家が「中国攻め」の際に家臣の湯原春綱に宛てた書状など200点以上の書状の原本で、 書状は、1560年代から1580年代にかけて、毛利元就をはじめ、毛利輝元吉川元春などが送ったものとのこと。 1560年代から1580年代の中国地方は僕には非常に関心がある時間空間だ。 三吉慎蔵の実父、小坂土佐九郎は長府藩士で剣術指南役であったが、その先祖は、小坂家系図によると、初代について、 01.JPG「元綱 源姓、小坂土佐守備中國小坂村之住人  穂田元清公江仕致御一字ヲ拝領ス知行五拾石之由申傳  父母共不分  妻佐久間主計某女」 とある。 穂田は穂井田の別名だが、 穂井田元清は、毛利元就の四男として天文20年(1551)に生まれ、慶長2年7月9日(1597年8月21日)に亡くなる。 穂井田姓を名乗るのは、天正3年(1575)に毛利氏に従った備中猿掛城主で三村氏の一族である穂井田元祐(庄元祐)の養子となったからで、以後、毛利氏の東部方面への侵攻を支える重鎮となったという。 そして、その後天正13年(1585)長男の毛利秀元毛利輝元の養子となったため、元清も毛利姓に復している。 従って、小坂元綱が穂井田元清に仕えたのは、天正3年(1575)から天正13年(1585)の間とみることもできる。 複製はすでにあったとはいえ、この同時代の原史料が発見されたことは何か先祖の生きた環境が明らかにされることでもあり、大変に喜ばしいことと思う。 ------以下 NHKオンラインより 複写----------------- 毛利家書状 原本初確認 織田信長「中国攻め」の際 家臣に送る 2022年9月24日 12時57分 戦国時代、織田信長の軍勢が中国地方を攻めたいわゆる「中国攻め」の際に、猛攻を受けた毛利家が家臣に送った書状など200点以上の原本が新たに確認されました。 江戸時代に作られた写しは伝えられていましたが、専門家は「原本が見つかったことで戦いの様子をより詳しく分析できる」と指摘しています。 確認されたのは、戦国時代、中国地方を治めていた毛利家が「中国攻め」の際に家臣の湯原春綱に宛てた書状など200点以上の書状の原本です。 東京大学史料編纂所の村井祐樹准教授が去年12月、湯原氏の子孫の家に残されていたのを見つけたもので、江戸時代に作られた写しは伝えられていましたが、原本は確認されていませんでした。 書状は、1560年代から1580年代にかけて、毛利元就をはじめ、毛利輝元吉川元春などが送ったもので、署名に当たる花押や紙の分析などから原本と確認されたということです。 このうち吉川元春が送った書状は縦10センチメートル、横30センチメートルほどの細長い紙に書かれていて「密書」として敵の包囲網をかいくぐって届けられたものとみられ、すぐに支援物資が届くので耐えるようにという呼びかけや増援を送ることを伝える内容などが書かれていて切迫した状況をうかがうことができるということです。 村井准教授は「短い期間の書状の原本がこれだけ残されていることは珍しい。原本が見つかったことで毛利と織田の戦いをより詳しく分析できるようになる」と話している。 「 人気blogランキング 」  に参加しました。

 

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絵は三吉慎蔵と坂本龍馬です

 

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