北越戊辰戦争史跡巡り 長岡

二日目の7/17は、小千谷に続き、長岡の河井継之助関係の史跡巡りで、以下の順に廻ってきました。 (長岡)  長岡駅-->河井継之助宅跡・記念館-->山本五十六記念館-->栄涼寺 思いのほか小千谷の史跡巡りで時間を取ったため、長岡で巡った史跡は少ない。 ・河井継之助邸跡60.jpg 長岡市長町1丁目にあった河井家の屋敷は、現在は河井継之助記念館となっている。戊辰戦争の際に河井継之助の屋敷は戦火で焼失し、継之助の遺族が屋敷を建て直した。その後史跡公園となっていたが、庭園の一部(庭石など)が残されていた。河井家屋敷の敷地は650坪という。 ・河井継之助記念館70.jpg72.jpg74.jpg 平成18年12月27日、生家跡に河井継之助記念館としてオープン。 展示史料としては物足りないが、一般的に継之助の全体像の大まかな把握はできる。 河井家の跡にできた記念館なので、これからも歴史ファンの訪問は多いと思う。 ・山本五十六記念館76.jpg 長岡藩士・高野貞吉の六男の高野五十六が山本家を相続し、山本五十六と名乗る。 子爵牧野忠篤は、大正4年(1915)五十六が海軍大学を修了し海軍で佐官以上の地位が約束されたとき、31歳になる五十六の将来を見込み、断絶状態の山本氏を相続させて家名を再興させた。 相続した山本帯刀家は、北率戊辰戦争時、筆頭家老河井継之助の次席の上席家老であったが、戦後は山本家は断絶させられていた。 1999年に開館した山本五十六記念館は家族や親友に宛てた手紙や軍服などの遺品、肖像画などが展示されている。 五十六がブーゲンビル島上空で戦死したとき搭乗の一式陸攻機の左翼が展示されているのには驚いた。 ・栄涼寺80.jpg82.jpg 北越戊辰戦争戦争の史料で第一に挙げられるのは、野口団一郎の『戊辰北越戦争記』(明治24年9月発刊)であろう。 長岡では明治23年5月、町をあげて盛大な戊辰戦争戦没者の法会が営まれた。この法会を機に史料を収集し古老に聞き取りなどで編集したのが『戊辰北越戦争記』である。 この上巻には、軍事掛であった三島億二郎に校閲を受けたこと、また銃士隊長であった秦八郎(当時は波多野謹之丞)が校正したことが記されている。この本は称賛を浴びると同時に間違いの指摘もあり、明治26年5月に『訂正戊辰北越戦争記』として訂正版が発刊されている。79.jpg 栄涼寺では、戊辰戦争時の12代藩主牧野忠訓公、軍事総督河井継之助、軍事掛三島億二郎、銃士隊長秦八郎、銃卒隊長児玉虎三郎などの墓にお参りしてきた。 児玉虎三郎は、小千谷会談に継之助が唯一随行させた長岡藩士84.jpg86.jpg87.jpg90.jpg92.jpg94.jpg95.jpg

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絵は三吉慎蔵と坂本龍馬です

 

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