北越戊辰戦争史跡巡り 小千谷

新潟史跡巡り その2 小千谷 二日目の7/17は、小千谷と長岡の主に河井継之助関係の史跡巡りで、小千谷は以下の順に廻ってきました。 小千谷駅-->慈眼寺-->船岡西軍墓地-->割烹東忠-->小千谷陣屋跡、00.JPG 小千谷では朝日山に登り戦場跡を確認したかったが、調査に十分に時間を取りたいので、長岡・三条の戦場巡りと共に、次回に回すことにした。 ところで、今回史跡巡りをする辺りは、平成16年(2004年)10月23日17時56分、新潟県中越地方を震源とする、M6.8、震度6強直下型地震が発生した。この新潟県中越地震により小千谷市内の船岡山慈眼寺を始め、船岡山西軍墓地、朝日山古戦場など北越戊辰史跡はいずれも大きな被害を受けた。 歴史遺産の危機に地元商工会議所やボランティアらが「小千谷北越戊辰史蹟復興支援の会」を結成し、全国への史跡の復興支援呼びかけが功を奏し、全国各地から寄せられた義援金などで、今はそれぞれの史跡が復興している。 船岡山西軍墓地は、市内中央に河岸段丘によって作られた小高い丘の頂上部にあり、墓石や石碑が建て直され、モニュメント(記念碑)も建立された。一番早い復旧らしい。 慈眼寺も、会見の間など本堂内の壁がことごとく崩壊し柱が傾くなど激しく損壊、倒壊の危機にさらされたが、多くの寄付などにより平成18年(2006年)9月に復旧している。 朝日山古戦場のある朝日地区は、複数の地すべり(斜面長360m、幅170m 及び斜面長230m、幅80m)が発生し,朝日山古戦場へ通じる市道や農道が被災した。 市による復旧工事は時間はかかったものの現在は元のように史跡巡りが可能になっている。ちなみに朝日山は標高341mで、山頂直下に上越新幹線のトンネルが走っている。 ・慈眼寺 山門:河井継之助が和平を夢見てくぐった門10.jpg11.jpg12.jpg09.jpg 寺本堂内の「会見の間」は、長岡藩家老の河井継之助が藩主の歎願書を持参し戦闘回避を目指して、官軍軍監の岩村精一郎と談判した場所。残念ながらこの会談は30分ほどで決裂・不調に終わり、西軍、長岡軍ともに多くの戦死傷者を出す不幸な結果となった。「会見の間」は市指定文化財となっている16.jpg17.jpg18.jpg。 慈眼寺は他に戦闘絵図、その他の関係遺品を所蔵している。また、薩摩藩の宿舎になっていたため、周辺の同藩戦死者の葬儀は当寺で行なわれ、その位牌は今もそのまま本堂に祀られている。 「岩村・河井会見記念碑」 碑文は徳富猪一郎(蘇峰)の撰、篆額と書は島田博による。20.JPG22.JPG24.JPG ・西軍墓地30.jpg32.jpg 慶応4年(1868)閏4月から8月に渡る北越戊辰戦争の中で、小千谷、長岡周辺の戦いで犠牲になった西軍兵士の墓地。 西軍侵攻の重要拠点だった小千谷周辺は、芋坂、雪峠、鴻ノ巣、片貝山屋、榎峠、朝日山など多くの激戦地があり戦死者の多くは周辺の寺院などに埋葬されていたが、明治41年5月に地元の井口喜代助らが奔走し、ここ船岡山に集められ合葬し祭祀を行った。ここには山口藩、薩摩藩など13藩、198の墓石が建立されている。34.jpg38.jpg 戦死者の墓には、長州藩参謀の時山直八などの有為な士や、軍夫、また望んで新政府軍に参加した井口徳四郎(南魚沼郡大和町出身)などの墓がある。 『時山君之碑』 時山直八の追悼碑。篆額は三条実美。撰文は山県有朋。 時山直八は、奇兵隊参謀として北越に出征し、越後長岡藩に奪われた榎峠を奪い返すため、榎峠近くの朝日山を目指す。この朝日山の攻防戦で5月13日、顔面を狙撃されて即死した。36.jpg ・割烹東忠(現、「居食亭 東忠」)40.jpg 幕末、長岡藩総督の河井継之助が慈眼寺にて新政府軍との会談に望んだ後で、昼食をとった座敷が保存されている。

42.png 湯殿川畔の傾斜地に建つ木造3階建の割烹であり、江戸末期建築の2階建に3階大広間を増築した。外観は建ちの高い真壁造で、1・2階に大小10室ほどの客室などを配し、要所に良材を用いた座敷飾を備える。小千谷縮や養鯉業による当地小千谷の繁栄を伝える料理屋建築で登録有形文化財(建造物)。 ランチに「継之助「談判の時」~東忠御膳~」を頂こうと思ったのだが、開店には時間があり、ランチと座敷の見学は早々にあきらめた。 ・小千谷陣屋跡50.jpg 小千谷徳川幕府直轄の天領だったが、享保9年(1724)に会津藩預り地となり、陣屋が拡張される。 宝暦13年(1763)には、小千谷組の他に浦佐組・小出島組・塩沢組・六日町組を支配するようになる。 本陣の間口は5間・奥行き16間の東向き建物で、敷地内には数軒の役宅があり、南側に善光寺街道が通っていた。 屋敷や人家が連なる"高札場町通り"と"日光小路"へ通じ、信濃川側は江戸へ通じていた。 北越戊辰戦争では会津藩主力部隊の一部を配置しており、朝日山の戦いなどで多くの藩士が戦死している。

 

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