11/1(日) 目的:ライデンにあるシーボルトの日本関係史料を拝見し、留学生の足跡を訪ねる
最高気温は17℃、服装は、長袖とチョッキで通した。
0530 起床、まだ暗いがアムステルダムの街を早朝散歩する。
日曜日だからなのか、自動車も自転車も人もいない。オランダは自転車天国で、自動車道路の右側に一方通行の自転車道路が整備されており、自転車専用の信号もある
0700 朝食をとって散歩に出かける。
0900 ライデンに向け、ホテル出発
一日乗り放題のトラムチケットで、アムステルダム中央駅まで20分乗車
アムステルダム中央駅 1889年に建設されたネオ・ルネッサンス様式のレンガ造りの建物で、東京駅のモデル。右の塔には時計、左の塔には風向計が見える。アムステルダム港へ続く近くの運河からこの風向計が見えるが、海洋国家らしい設えといえる。
0958 ライデン行の列車に乗車
ライデンまでの往復切符
1030 ライデンに到着
アムステルダムは霧だったが、途中のスキポール空港はさらに真っ白、
ライデン中央駅到着前に霧は晴れ、ライデンの空は真っ青だった。
すぐに、ガイド山田さんの案内で市内観光を開始した。
主に見たところを挙げると、
〇市立風車博物館(中には入場していない)
〇フェルメール誕生地のある街区
〇シーボルトが最初に住んだ家があった場所(岸辺の喫茶店)
〇大工の協会(協会の目的は貧しい人に住宅を提供すること、今は老人ホームになっている)
〇協会の向いはライン川の新しい港
風車(右はレンブラントの父親が持っていた風車、川の向かいにも風車があったが今はない)
現在は風車守が小麦粉を挽き風車の下で販売しているが、本日は日曜日でお休み。
風で風車が回り、その力が1.5トンの石臼を回し、小麦粉ができる。
今の風車守は、父親が風車博物館の管理人の時にその博物館の風車(住居にもなっている)の中で生まれ、昔ながらの風車の技術を学び、クリーンな風車の技術を生かすため風車守となっている。
〇海事学校(乗組員のための学校、留学生が宿泊した)
手前はレンブラント公園、 絵を見て立っているのはレンブラント少年の銅像
〇海事学校の向かいは、レンブラントの生まれた場所(1606年7月15日生誕、家は新しい)
〇ライデン大学の門(大学は元軍隊の建物なので、その名残が門にある)
ライデン大学が出来たのはスペインからの独立戦争が切っ掛け。
1574年にスペイン軍にライデンは包囲され、飢餓によって市民の1/3が亡くなるが、降伏することなく5か月間耐える。この市民の粘り強さが戦況を変える。オランダ艦隊が到着、スペイン軍が撤退しオランダ独立に大きな一歩となる。このライデン市民の功績を讃え初代オランダ総督ウィレム1世が贈ったのが、オランダ最初となるライデン大学。税の免除か、大学かの選択の中で、市民が未来の若者のため大学を選択したのだった。
〇ライデン大学、日本学科、中国・韓国学科がある建物
日本学科は1855年に世界に先駆けて設立されている
〇ライデン大学、「冬の温室」(2000年の日蘭400年で天皇・皇后陛下が来られている)
同時に2000年にシーボルトハウスも開館する(第三者の住居を買い取る)
〇ライデン大学、植物園、 最初は薬草を創るための施設であった。
シーボルトの持ってきた植物は今もたくさん残っている
〇ライデン大学、植物園の中の日本庭園とシーボルトの像
〇ライデン大学、本部、元修道院で425年前のもの。
菅原道真の詩歌が壁にある
〇ライデン大学、faculty club シーボルトの収集品を格納 している。シーボルトも住んだことがある
〇松尾芭蕉の句を1996年に壁に書いた天文学者が住んでいたマンション
今の住人は詩句が気に入って住んでいる。
いろんな言葉で詩を書いた壁はライデンに151ある。
〇有名な通り(映画のロケーションでよくつかわれる通り)
〇13世紀に建てられた裁判所、今はライデン大学の施設
〇大工の協会(貧しい人に住居を提供する、白い門の家、1683年建つ)
〇清教徒pilgrims(Pelgrims)が英国から移り住んだ辺り
〇英国から移住した清教徒の家(英国風建物)
〇画家ヤン・ステインの住んでいた場所(門の奥)
〇ライデン市役所
かっては馬を止めたため、その馬止めの輪と水飲み場が残る
〇市役所の前の道路にあるライデン市のマーク、ローマ時代の道の起点になったところ
<昼食>
〇シーボルトハウス
シーボルトが持ち帰った史料、測量地図、今の日本にはない貴重な物件を多くを拝見する。
この建物はもともとは個人の建物で、半地下には奴隷部屋も観ることができる。
〇ビュルフト城塞とハロウィン
ライデンがスペイン軍に包囲されたとき、ライデン側の拠点となった要塞
ビュルフト城塞の中でハロウィン、日本風の着物の若者もいた
〇留学生古川庄八と山下岩吉の下宿先(白い家の左隣)
中島兼吉の下宿先と小幅な運河を挟んで向き合っている
〇留学生中島兼吉の下宿先、NO.52の番号が見える
〇ライデン一の繁華街を通って、1555 ライデン中央駅に到着。
1610 アムステルダムに向けて乗車
1900 レストランTastoe Amsterdamにてフランス料理を食す。
ここでも、ハイネッケンを何杯かお替りした。
メニューは、ホウレン草のサラダ、ステーキ、フライドポテト、デザート、紅茶
2100 夕食終り
2145 ホテル帰館
2400 就寝
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