2015-01-01から1年間の記事一覧

小坂家の出身地・備中国小坂村

三吉慎蔵の実家・小坂家の出身地・備中国小坂村を調べている。 調査はとりあえず、以下の資料から行った。 ①藤井駿氏「三聖寺文書に見える備中国小坂庄」 ②鴨方町「鴨方町史」 備中国小坂村については、①の藤井駿氏の研究が秀逸で、小坂村について初めて史料…

桃井家と幸若舞

「幸若舞」と聞くと、織田信長が桶狭間の戦いの出陣直前に舞い謡った「敦盛」の場面を思い浮かべる。 当初、幸若舞はお祝いの意味合いが強かった。しかしだんだんと、平家物語や曽我物語など軍記物を取り入れた曲目が増え、武士の華やかにしてかつ哀しい物語…

桃井直常の関係史跡巡り

先日、足利家の枝族で、南北朝時代に越中守護に補任された桃井直常(もものい ただつね)の関連史跡と、直常から6代目の小杉家初代尚芳の発祥の地とを富山に訪ねてきた。 あまり時間もないのでコースは、県立富山南高校(資料確認)-->小杉神社(由緒確認)--…

三吉慎蔵の実家・小坂家の出身地

慎蔵は、小坂(おさか)土佐九郎・かつ子の次男で、三吉家の養子になる。 実父の小坂土佐九郎は、長府藩士で剣術指南役であったが、その先祖は、小坂家系図によると、初代について、 「元綱 源姓、小坂土佐守備中國小坂村之住人 穂田元清公江仕致御一字ヲ拝…

今日は、桃井直常の祥月命日

桃井(もものい)氏は、下野の足利氏の枝族で、もともと上野群馬郡桃井(現在の群馬県榛東村)の出身。 桃井氏は直常(ただつね)のとき足利尊氏に従い、各地で波乱万丈の生涯を送り、天授2年(1376)6月2日に亡くなっている。 墓は、越中守護に補任されたとき…

祖父の恋

母方の祖父に、河島精一がいる。 明治19年(1886)に生まれ、昭和42年(1967)の81歳まで生きた。 僕が19歳の学生の時に亡くなったので、かれこれもう48年前になる。 精一は父親の河島由之が本郷区弓町2-18に住んでいた時に、近所の、ある女性に淡い恋心を懐いた…

彰義隊士と慰霊祭

先日、上野の彰義隊墓前にて催された戦没者慰霊祭に参列してきた。 今年は、慶応4年から数え、遠忌慰霊法要第148回の年になる。 高祖父にあたる幕臣・河島重蔵源由路が、長男由之16歳と共に彰義隊に参加し戦死しており、その供養のための参列であり、今回が…

徳川家康公400年祭

今年は家康公が元和2年(1616)に没して400年になる。久能山東照宮では御鎮座四百年大祭が行われ、駿府では1年を通じ四百年祭の行事が続く。4/16に東静岡にて「平成の徳川家臣団大会2015」のイベントが開催されることでもあり、1年半振りに久能山に参拝し…

東軍戦死者慰霊碑の副碑 (田邊太一撰文)

明治40年に京都にて東軍慰霊四十年祭が行われ、のちにその報告書として「戊辰東軍戦死者四十年祭典及墓標建設報告書」が関係者に配られた。 その報告書には、それまで建立されてきた碑について、「戊辰伏見鳥羽淀之役東軍戦死者之碑及埋骨碑建標」の地図が収…

南禅寺金地院での東軍慰霊祭

東照宮のある京都南禅寺金地院での東軍慰霊祭は、 家康が亡くなった4月17日に因み、その直前の日曜日に行われる。 今日がその日なので参加してきた。 鳥羽伏見の戦いのあと東軍将兵の慰霊は続けられていたが、30年後の明治30年に三十年忌が京都で大々的に行…

三吉慎蔵と中山忠光公 その2

この二人について僕にとっては分らないことが多い。 最近、時々答えのない疑問があれこれ湧いてくることがよくある。 先日3/21、忠光公の潜居暗殺関係の史跡めぐりをしたのだが、その時にも疑問が生じた。 夜打が峠に夜中に一旦埋めた遺骸を掘り起こし、夜明…

三吉慎蔵と善勝寺

下関で開催された長清会の翌日、3/22に長府と清末の間にある善勝寺を訪ねてきた。 江戸末期、このお寺の三女・津原かつ子が長府藩士小坂土佐九郎に入嫁した。 かつ子は、三吉家に養子に行った慎蔵の実母になる。 善勝寺は、下関市王司地区神田の、津原山の麓…

下関にて中山忠光公史跡めぐり

3/21晩に下関にて長清会が開催されるため、それまでの間、忠光公の史跡を回ってきた。 中山神社に用がありついでに史跡めぐりを思いついたのだが、現地については全くの地理不案内でもあったので、地元下関のFB友達の伊佐さんの快諾を得て、コース案作りも…

井上聞多のこと

これは困った。 井上聞多の妹厚子は、来島又兵衛の長男・森清蔵に嫁いでいたのか、これは知らなかった。 三吉慎蔵-->船越清蔵-->来島又兵衛-->井上聞多となり、慎蔵とは遠いが、毀誉褒貶の分かれる聞多と縁続きになってしまう。 慎蔵はこのことを知っていた…

長清会と毛利秀元公銅像の建立

3/21、下関の天白ひらこし「ふく楽舎」にて美味しいフグを頂きながら、第二回目の長清会が開かれた。 この会は、現下関市域のほとんどを占める長府藩・清末藩の子孫や関係者の、会員同士の懇親と下関発展への寄与を目的にしている。 まず、開会にあたって、…

三吉慎蔵と中山忠光公 その1

中山忠光公について、『三吉慎蔵日記』には2か所の記述がある。 最初は、忠光公が攘夷のため馬関の台場を視察に来関したときに慎蔵が御付となり警護したとき。 〇文久三年四月十六日 「 中山侍従殿攘夷期限ニ付萩表御下向之処宗藩宮城彦助御付ト相成 馬関台…

三吉慎蔵の実母・かつ子の家系

かつ子とその実家の事を調べている。 かつ子は、長府藩士小坂土佐九郎(馬廻役、剣術指南役)の妻で、文化3年(1806)7月23日に生まれ、明治30年(1897)に92歳で亡くなっている。慎蔵は二人の次男になる。 実はかつ子自身についてはあまり情報がない。 小坂家系…

長府藩士・小坂土佐九郎とその家族

年末に入手した三吉慎蔵の実家・小坂家の系図から様々な情報が分ったので、その一部を記録しておく。 ①小坂土佐九郎 土佐九郎は、幼名が雷蔵、のち土佐九郎と改め、隠居後は衰眠と名乗る。 小坂家9代 妻は三吉半次政信の娘で、のちに離別し、後妻として津原…

2015年の予定

明けましておめでとうございます。 今年は退職して6年目に入りますが、これまでなぜか現役時代以上に忙しく過ごしてき多様な気がします。 そんななか昨年は先祖調査に進展がみられました。 三吉慎蔵については、史料の調査や講演会の開催、明治期東京での居…