今日は、桃井直常の祥月命日

桃井(もものい)氏は、下野の足利氏の枝族で、もともと上野群馬郡桃井(現在の群馬県榛東村)の出身。 桃井氏は直常(ただつね)のとき足利尊氏に従い、各地で波乱万丈の生涯を送り、天授2年(1376)6月2日に亡くなっている。
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墓は、越中守護に補任されたときに直常が開基したと伝わる富山市布市の興国寺にある。寺にある位牌には、墓石と同じく、「興国寺殿仁沢宗儀大禅定門」と書かれている。 また近くには龍高寺(但し火災などで近くを移転している)があり、直常の祈願所だったという。龍高寺には、直常が相撲が好きで応援するときに鳴らしたという硅石が、今も本堂に伝わる。 直常の息子には、直和(ただかつ)、直知(ただとも)がいる。 直和の系列には、真偽は不明だが江戸時代の剣術家桃井春蔵がいる。そして直和の末裔の方は、今は岐阜県におられるらしい。 直知の子・桃井直詮(ただあきら)は幸若舞創始者として知られる。直詮は、幼名を幸若丸といい、父の没後、比叡山の稚児となり、生まれつき歌舞音楽に優れた才があって、草子に節をつけて謡ったのが評判になり「幸若舞」と呼ばれるようになったといわれる。 これが越前幸若舞のはじまりで、越前幸若舞はその後、幸若氏(桃井八郎九郎・弥次郎・小八郎)のみに伝承されたが、江戸幕府崩壊と共に廃業してしまった。未見だが幸若氏の系図に代々の名前があるらしい。 なお、直詮の肖像画も残っており、国立博物館にあるとのこと。 ところで、 桃井直常は、高祖母小杉鋹(とし)の先祖になる。 小杉家の系図に、初代は、小杉伊右衛門尚芳(清和源氏桃井播磨守直常6代、桃井三郎四郎直宣嫡子)とある。 小杉氏は、越前前田氏に従っていたが、寛永16年(1639)に富山藩が分れた時に、富山藩士となったらしい。江戸時代中期に富山から江戸に出て、6代目小杉直方のときに幕臣となっている。 高祖母鋹がこの直方の娘で、弟に、小杉直吉、小杉雅之進がいる。 6月6日に信州上田で開かれる「米熊・慎蔵・龍馬会」に参加するため、北陸経由で行くのだが、途中下車して、小杉家の出身地の「小杉」を訪ねようと思っている。ところが、富山には「小杉」の地名が何カ所かあるのだが、 もともとの出身は、おそらく、興国寺のある富山市布市の隣の「小杉」ではないかと推定している。 今回の訪問でその地を確認して来たいと思っている。 参考:Wikipedia桃井直常     ヒアリング(新湊博物館、興国寺、龍高寺) 「 人気blogランキング 」  に参加しました。よろしければ押してくださいませ。
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