祖父の恋

母方の祖父に、河島精一がいる。 明治19年(1886)に生まれ、昭和42年(1967)の81歳まで生きた。 僕が19歳の学生の時に亡くなったので、かれこれもう48年前になる。 精一は父親の河島由之が本郷区弓町2-18に住んでいた時に、近所の、ある女性に淡い恋心を懐いた。
画像
その女性は、父の由之と従兄弟になる小杉杪(すえ)といい、精一よりも6歳年上で明治13年(1880)の生まれだった。 精一の祖母鋹(とし)の姪になるのだが、本郷小町と称せらるほどの美人だった。 河島家と、精一の祖母鋹の実家・小杉家とは、共に幕臣一家でもあり親戚でもあり仲がよく親密で、この頃は互いに家族同士で行き来があった。 たとえば、明治30年頃、小杉家が本郷から駿府に移住していたときでも、杪の弟・吉也が学習院高等科に通うために、本郷の河島由之の家に下宿していたことなどが、その証になる。 そして両家の交流関係もあり、また杪に恋心を懐いていたこともあり、河島精一は小杉家の家族の事情を自然と詳しく記憶するようになる。 杪の父親小杉直吉は、精一の祖母鋹の弟になるが、晩年は駿府に移り、徳川慶喜の謡の師匠などで過ごしていたが、 慶喜の勧めもあり、、杪は明治30年を数年過ぎたころ旧会津藩松平容保の次男松平健雄に嫁ぐことになる。 そして、精一は大正になってから長府藩士三吉慎蔵の孫娘梅子を嫁にもらう。 そして月日が60年近く流れ、昭和42年になって精一は病床に臥す。少年時代に好きだった杪は4年前に亡くなっている。この頃は、河島家と小杉家とは互いに行き来することもだんだんとなくなり、精一の次の代では全く疎遠になっていた。 僕の母は親戚と系図を明かにしておきたいとの思いからか、父精一の見舞いに行くたびに、先祖、家系について病床の精一に尋ね、、精一の記憶を呼び起こし、細切れにメモを取っていた。 そして、何度かの見舞いによって、家族には明確でなかった河島家と小杉家の家系図が、幕末前後から体系的に初めて明らかになり、わが家に残されたのだった。 僕は、母が亡くなったことを契機に先祖について関心を懐き始め、母の供養のためにもと、三吉慎蔵から先祖の調査を開始した。 そんな中でたまたま、旧幕臣小杉雅三 (維新後に改名した、小杉雅之進)と仙台藩士鴉組隊長・細谷十太夫との有縁の記事を眼にした7年前、初めて小杉雅三と小杉雅之進とが同一人物と分かったのだった。 そして同時に、雅三の末裔・小杉伸一氏の存在を知ることになる。 そこで小杉伸一氏と連絡を取り、祖父の記憶から出来上がった両家の系図をもとに、お互いの系図と戒名の確認によって、高祖母である小杉鋹を媒介にして親戚であることが明確になったのだった。 それもこれも、今現在両家が一応お互いを親戚と認め、付き合いを復活できたのは、まさに祖父の少年時代の恋の為せるわざなのである。 「 人気blogランキング 」  に参加しました。よろしければ押してくださいませ。
幕末・明治時代(日本史)ランキング 絵は三吉慎蔵と坂本龍馬です 励みになりますので、できれば以下のバナーもどうぞ にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ
にほんブログ村